植民と移民の対立こそアメリカ大統領選の争点だ アメリカ社会の価値「寛容さ」は残るのか

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しかし、今や3億人を超す人口と経済的停滞、そして移民の増大によって豊かさを実現できない国家となり、内部不和を抱えるようになってくる。

アラン・ブルームとサミュエル・ハンチントン

この問題をアメリカの分裂としてとらえたのが、サミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ-ナショナル・アイデンティティの危機』鈴木主税訳、集英社、2004年)だ。

彼は、アメリカの信条をこう述べる。

「17世紀と18世紀にアメリカに入植してこの国を築いた人たちの、アングロ・プロテスタント独自の文化の産物だった。その文化の主たる要素には、英語、キリスト教、信心深さ、法の支配に関するイングランドの概念、支配者の責任、個人の権利、非国境派プロテスタントの個人主義の価値観、勤労を善とする労働倫理、人間には地上の楽園である『山の上の町』(マタイ伝第五章14節)をつくりだす能力と義務があるという信念が含まれていた」(12ページ)

そしてこの信条を取り戻すことこそ、分断したアメリカを取り戻すための方法だと主張する。

アメリカはまったく自由に開かれた国ではなく、アングロサクソンの伝統に刻印された国だったのだというのだ。植民と移民とは違う。移民は植民がつくりあげたものに従うべき、すなわち同化すべきなのだというのだ。

しかし一方、増え続ける移民、それもスペイン語圏からの移民の無限の増大は、スペイン語の公用語化の要求を含め、ありとあらゆるアングロサクソン流の信条への脅威を生み出している。

アングロサクソンの信条が、ホッブズ、ジョン・ロック、ルソーにつながる、個人の契約による新国家の基礎にあるというのであれば、それはアングロサクソン流ではなく、文明社会の普遍的価値基準(これはこれで問題であるが)だということになろう。

しかし、それは理念としての神話にすぎない。ただ、人種差別や民族差別、移民排斥といった現実の歴史は、その普遍性に疑義を投げかけている。

なるほど、アングロサクソン的信条が普遍的であり、それが啓蒙主義の延長になるのだという考えは、アメリカン・ドリームを支えてきたアメリカの精神「アメリカン・マインド」だといえる。

それは、アメリカはあれこれの国家ではなく、まったく自由な新しい人々の契約によってできた自由な個人の集合体としてできた国家だという理念だ。

アラン・ブルームは、『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房、1988年)の中で、寛大さが招いたアメリカン・マインドの終焉という議論を展開している。

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