植民と移民の対立こそアメリカ大統領選の争点だ アメリカ社会の価値「寛容さ」は残るのか

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一方、新大陸アメリカには国家はなく、個人が自らの契約で国家をつくることができたのだ。だからこそこの国家にはイギリスの持っている垢、すなわち不平等や不自由はなかった。

こうしてアメリカは18世紀の末にイギリスからの独立を勝ち得、自由と平等の国家をつくったというわけである。

もしこの神話が正しければ、この国家は自由と平等を求めてくる個人のつくりあげる、ルソーのいう社会契約による国家となるはずである。

もしそうだとすれば、アメリカは今後もずっと個人を契約によってアメリカ以外から受け入れ、自由な国家として存続すべきである。

19世紀後半以降のアメリカ移民

しかし、それはあくまで理念であり、現実の歴史とは違う。今われわれが見るアメリカは19世紀後半以降のアメリカなのかもしれない。19世紀になって、すでに18世紀に国家として形成されたアメリカに大量の移民が来る。

移民はイギリスからではなく、ドイツをはじめとする他のヨーロッパ地域の出身者だった。その波はやがて東欧や南欧、そしてさらにはアジアや中南米、中東諸国へと広がっていく。

そうなると、すでにいた者と新参者の移民との摩擦が起きる。宗教、言語、文化、あらゆる問題で先に来たものと後から来るものとの衝突が起こる。しかし、アメリカは先にイギリスの宗教、言語、文化を持っていた集団が基礎を築いていたがゆえに、移民はこれに同化せざるをえなかった。

もはや、それぞれの移民が勝手な国家をアメリカに建設するなどという自由など、すでになかったのだ。アメリカの国家も国土も、ほぼ19世紀後半までに完成していたのである。

同化しにくい移民(非西欧人)に対しては、移民排斥が何度か執行された。ニューヨーク・自由の女神の脇にあるエリス島の移民博物館には、「自由の国アメリカにようこそ」と書かれてはいるが、個人が自由に生きる余地は残されてはいなかった。

こうしてアメリカには、19世紀後半以降、アングロサクソン的アメリカ人と、そうでない移民者との大きな分裂が生じた。

しかしアメリカは、移民者を同化させることと豊かさを実現させることによって、国内の対立(例えば南北戦争)をなんとか切り抜け、21世紀まで自由と平等の大地としての役割を担ってきた。

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