死を忌避し苦しみ長引く「安楽死」を巡る正論とは ALS患者は最後に眼球とまぶたしか動かせなくなる

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ALSは徐々に進行し、治療法はなく、発症から3~4年で呼吸筋が麻痺して呼吸不全になる病気だ。その時点で人工呼吸器をつけると、死は免れるが、今度は身動きもできないまま、寝返りどころかうなずくこともできなくなって、深呼吸もため息をつくことさえできなくなる。

胃ろうから流動食を摂り、無言無動で、排泄の介護、全身の清拭、洗髪、口腔ケア、喀痰吸引、陰部洗浄、体位変換、爪切りから耳垢掃除までを、ずっと受け続けなければならない。意思表示もほとんどできず、いつ果てるともつかない時間をじっとすごさなければならなくなる。

人工呼吸器の選択

そんな状況を嫌って、人工呼吸器をつけずに死を受け入れる人もいる。私が担当した女性も、人工呼吸器はつけずに死を迎えた。しかし、それならあと3、4年で死を迎えることになる。助かる方法があるのに、死を受け入れるのはかなりつらい。

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かと言って、人工呼吸器をつけてしまうと、自然な死が訪れるまではずすことはできない。どれほどつらく、悩ましく、自分を責めても悔いても、死は許されない。それなら人工呼吸器をつけずに、自然な死を受け入れるほうがいいのではとも思うが、命を延ばす方法があるのにと思うと、また気持ちが揺らぐ。

この堂々巡りは、今までALSに罹患することをリアルに考えることがなかったせいだろう。そんな恐ろしいことは考えたくない気持ちと、可能性としてはゼロではないのだから、しっかり考えておいたほうがいいという気持ちが、私の中でせめぎ合う。

そんなとき思うのは、いったん人工呼吸器をつけて、取りあえず死を避けて、そのあと、ほんとうにつらくなったら人工呼吸器をはずしてもらうという選択肢だ。

それが今の日本ではできない。安楽死が合法化されていないからだ。偶然はずれたように装っても、だれかが過失死の責任を問われる。本人はまったく動けないのだから。

人工呼吸器をつけずに死を受け入れる患者さんは潔いが、そこまで決断できず、人工呼吸器をつけたことを悔やむ患者さんもいるはずだ。人工呼吸器をつけて、生きながらえてよかったと思う患者さんもいるだろう。そういう患者さんは生きればいい。ただ、そうでない患者さんには、自ら死を選べる道も必要ではないか。

それこそが「個」の尊重につながることに、異論はないはずだ。

久坂部 羊 作家

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くさかべ よう / You Kusakabe

1955(昭和30)年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。外科医、麻酔科医を経て、外務省に入省。在外公館にて医務官を務めた。2003(平成15)年、『廃用身』で作家デビュー。2014年、『悪医』で日本医療小説大賞を受賞。他に『破裂』『無痛』『神の手』『嗤う名医』『芥川症』『老父よ、帰れ』『オカシナ記念病院』『怖い患者』『生かさず、殺さず』などの著書がある。『ブラック・ジャックは遠かった』『カラダはすごい! モーツァルトとレクター博士の医学講座』などエッセイも手がけている。

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