青野さんは2浪目を決めますが、親の金銭的支援がなくなり、アルバイトで前半の半年間、お金を稼ぐことに決めます。
週5回、朝から晩まで工事現場の警備員や、ディズニーランドでのアルバイトでお金を貯めて学費や道具の費用に充てた青野さんは、秋ごろからふなばし美術学院に通い始めます。このころには、受験も東京藝大1本にしようと決めていました。
「私は学科の対策をそこまでしていませんでした。東京藝大で私が受ける学部では、国語と英語で5~6割取れれば十分でした。私もそれくらいは取っていたのですが、私立大学では、学科の割合が高く、実技で挽回しようとしても限界がありました。実技試験の対策だけに時間を割きたいという思いと、2浪しているからこそ藝大に行きたいという気持ちから、東京藝大のみを受けることにしました」
くじ引きの不運で3浪目が確定
予備校通いも3年目を迎えた青野さんはついにこの年、作品が上段に並ぶようになりました。「今年こそは合格したい」と思って臨んだ3度目の藝大受験でしたが、試験当日の「くじ引き」が合否を左右することになりました。
「当時の藝大の試験は入室するときに『クジ』を引きました。そのクジによって試験本番で石膏像を描く場所が決まるのですが、私は唯一7時間立って描かなくてはならない、いちばん後ろの3列目・石膏像の体の正面を引いてしまいました。
前列のほうが、情報量が多く対象を見やすいのですが、私の位置では細かいところが見えなかったのです。さらに裸像の体の正面は、対象の体の厚みが感じられず、うまく距離感を表現しづらいという点もあります。この年はもう描き終わった時点でダメだとわかって、次の日から3浪目に向けてアルバイトを始めました」
2浪目では不運に見舞われた青野さんは、3浪をするにあたって、当時石膏像デッサンの試験がなく、その代わりに静物デッサンの試験があった東京藝大の工芸科工芸専攻に志望学科を変更する決意をします。
「もともとモノ作りに興味があったのと、試験日に配置される場所で結果が決まってしまうのは避けたいと思い、場所にとらわれない学科を受けようと思いました。そのため、静物デッサンが出題される学科を選びました。受験科目を変えたハンデなどもなく、予備校での作品の評価もよかったため自信がありました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら