そんな青野さんの高校受験は、最初は県内有数の進学校である千葉県立八千代高等学校を第1志望に設定したものの、受かるかどうかギリギリのレベル。また、家計的に私立に進むのが難しかったために、滑り止めで考えていた私立の受験も回避します。こうして志望校を少し下げた結果、合格者の中でも10番以内の優秀な成績で、千葉県立八千代東高等学校に進学しました。
「高校生活は楽しかったです。後々美術部に入ればよかったと思いましたが、その当時は団体競技をやってみたかったので、バスケットボール部に入って3年間熱中しました。引退する高校3年生の6月になってようやく、次に集中できることを探そうと思い、美大の予備校に入ったんです」
初心者から始めた絵は大体「お蔵」入り
美術系の大学について何も調べていなかった青野さんは、ようやく高校3年生の夏に友達から予備校に通う必要性を聞き、ふなばし美術学院に通うことを決めます。
しかし、そこで直面したのは、「何をしていいかわからない」という問題でした。
「用具を揃えて鉛筆のデッサンを始めたのですが、自分の作品の何がいいのか、何が悪いのかがわかりませんでした。講師の方に『印象が違うね』『距離感が足りないね』と言われても、おっしゃっていることがまったく理解できませんでした」
青野さんが通っていたふなばし美術学院では週に1回、講師による講評があり、「上」・「中」・「下」の棚に、それぞれ作品が置かれていきました。「上段」はおそらく受かる、「中段」はもしかしたら受かる、「下段」はほぼ受からないという基準だったそうですが、青野さんの絵は、ほとんど下段の棚よりも評価が低い、端っこに重ねられる「お蔵」という評価でした。
それでもどんどん評価が上がっていき、受験直前期には、描いた作品がたまに中段に入るようにもなりました。
しかし、現役の受験では、東京藝術大学美術学部デザイン科デザイン専攻に加え、東京造形大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学を受験して全落ちに終わります。
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