「4回も不合格」それでも東京藝大目指す彼の粘り 度重なる不運に遭いながらも勉強を続けた

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青野さんは千葉県八千代市に、そろばん塾を経営している家庭に生まれ育ちました。小さいときから家でそろばんを週3回、習字を週1回習っていましたが、絵を描いたことはまったくなかったそうです。

「小学校の成績はオール4くらいでした。このときは近くの川で釣りをすることにハマっていて、子どもながらに考えて『ウキ』(釣り道具)を作るのが楽しかった記憶があります。孔雀の羽やカヤを使って、試行錯誤しながら作っていたときに『ものづくりって面白いなぁ』と思ったことが、今の人生につながっています」

ちなみに、青野さんのいとこである経済ジャーナリストの雨宮京子さんも、青野さんの家庭を「細かいことを気にしないおおらかな家庭だった」と語ります。勉強を強制する空気がなく、青野さん自身がやりたいことを追い求めることができた環境が、のちに興味を持つ絵画をはじめ、さまざまなことに対する彼の好奇心や探究心を作ったようです。

中学3年生で美大を目指そうと決意

中学校に入ってからは、学年400人中20~30位の優秀な成績をキープしていた青野さん。しかし、青野さん自身は興味を生かす仕事をしたいと考えて、中学3年生のころには美大に進むことを決意しました。

「中学校の最初の試験の順位は、400人中100番だったのです。あまりにも低いなと思い、慌てて自主的に勉強するようになりました。授業中に集中して聞いて、家でも復習をするようにしたら、成績が上がりました。当時から、友達と釣りをしたときも『多く釣れたほうが勝ちだ!』と言っていたので、人と競争するのが好きだったんでしょうね」

負けず嫌いで、自分が決めたことに集中する性格だった青野さんは、そろばんと習字をやめて入った中学校の卓球部では、市の大会で3位になったこともありました。

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