「選挙の推し活化」と希望格差社会の因果関係 「希望なき社会」の選挙で何が求められるのか
「推し活」のような選挙戦
昨年の話題になった選挙では、7月の①東京都知事選挙における石丸氏の健闘、②衆議院選挙における国民民主党の躍進、③11月の斎藤兵庫県知事の再選、というように、「意外」な候補の健闘、躍進、再選がみられた。また、派閥解消後の自民党総裁選挙においても、いわゆる派閥組織のベテラン候補者よりも、当選した石破首相、高市議員、小泉議員に一般票が集まったことが注目された。
ソーシャル・メディア(SNS)の影響を指摘する声は大きいが、単にソーシャル・メディアでの露出度の影響や、既存メディアへの不信感だけでこれらの現象が説明できるだろうか。私は、これらの結果は、選挙での有権者の行動が、一種の「推し活化」しているからだと考えている。
これは、私だけの印象ではなく、兵庫県知事の再選挙に関して、赤田太郎・常葉大准教授が「まるで推し活、前兵庫県知事・斎藤氏<#がんばれ>に三つの要素」(毎日新聞2024年10月22日朝刊)で指摘している。評論家の雨宮処凛さんも「推し活化する選挙」という一文をよせている(マガジン9、2024年11月20日)。
実際、テレビの兵庫県知事選挙関係のニュースでは、斎藤氏の演説集会で若い人たちが「うちわ」を振って応援する様子が映し出されていたし、選挙後、斎藤氏に投票した人々は、SNSの影響が強かったことがさまざまなデータ(NHK「クローズアップ現代」2024年12月16日放送)から示されていた。推し活の主要メディアは、SNSであることを考えると、選挙の推し活化がSNSでの活動を目立つものにした可能性がある。
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