「選挙の推し活化」と希望格差社会の因果関係 「希望なき社会」の選挙で何が求められるのか
「推し活」とは、「推しを応援し楽しむために行う活動」とされる。2021年、流行語大賞にノミネートされた。ちなみに「推し」は、「応援する対象、その対象の夢や目標を「達成」するために、こちらも努力を惜しまずに協力したいと思わせる対象」と定義される(小出祥子編『オタク用語辞典:大限界』9-10頁)。本人の夢や目標ではなく、推しの人物の夢や目標の達成を目標にしているところが重要な点である。
そして、近年には、推しの対象が、現実の一人の人間だけでなく、アイドルグループ(箱推し)、キャラクターやスポーツのチーム、さらには、飲食店などにも広がっているのが現状である。つまり、推しは、「特別」に好きである「何か」であり、推し活は、その対象を応援する活動一般を指すように変化していく。
希望なき社会での「推し活」
そして、私の近著『希望格差社会、それから』では、「推し」の存在が、現実に存在する格差を心理的に埋めてくれる存在の一つであると論じた。
つまり、現代日本社会では、現実では生活水準に格差があり、努力しても将来生活がよくなるという希望がもてない。だから、「希望」―努力が報われるという確信―を、現実とは別のバーチャル世界で埋め合わせようとする傾向がみられる。
推しもその一つのジャンルであり、「推し」を努力して応援すれば、「推し」がどんどん有名になり、活躍できる場が広がる。つまり、応援という努力が、推しの活躍という形で報われるというロジックである。
アイドルや俳優であれば、コンサートに行く、CDを買う、応援する仲間を増やす、SNSなどで拡散するなど努力をすれば、そのアイドルのメディアでの露出度が高まり、努力が報われたと感じることができる。
努力が報われるという期待が「希望」なので、推し活をしている人はその世界で希望をもつことができる。
その推す努力の成果を目に見える形でシステム化したのが、2009年に始まったAKB48選抜総選挙である。ファンクラブ入会やCDを買うと、投票券がもらえる。シングルで歌う権利が、その投票の結果決まる。まさに、自分の好きなアイドルを応援した結果を「目に見える」形にしたのである。2018年に終了したが、若い人にとって総選挙といえば、AKBのことを指すくらい有名になった。
すると、「選挙の推し活化」とは、政治における選挙において、自分が好きな候補者を当選させるために、さまざまな形で応援すること。応援の中身は、集会に参加することから、SNSを視聴し拡散することも含まれる。そして、応援すれば、その成果が得票という形になって現れ、票が集まれば世間の注目が集まり、首長や議員に当選する。つまり、応援という努力が報われるのである。
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