小学生には「算数ドリル」がどうしても必要な訳 機械的な作業に思えても重要な意味がある
郷さん:なるほど。そうはいっても娘が宿題で算数のドリルと格闘しているのを見ると、機械的な感じがしてかわいそうに感じるときがあるんですよね。
西成先生:気持ちはわかります。ただそれは「受験のため」でも、「親や先生に褒められる(叱られない)ため」でもなく、「自分が社会にでたときに困らないため」、そして「自分が社会に対して貢献するため」だということをしっかり教えてあげてほしいと思います。
郷さん:わかりました。
算数教育の微妙なサジ加減
郷さん:てっきり算数って中学以降の準備だと思っていました。
西成先生:もちろんその側面もあります。だからアメリカだと小学校でもmathと呼ぶし、算数をマスターしていないと中学以降の数学についていけません。
郷さん:それはそうですよね。中学の数学って、いきなり概念的な世界に飛び込むじゃないですか。
西成先生:小さい子どもって抽象的なことを考える力が育っていないことが多いので、数学を早め早めに教えればいいという話でもないんです。
郷さん:たとえばxが出てきて、方程式を解いて、それをグラフで書いて、みたいな。
西成先生:そう。レベルが上がるにつれ、現実世界から遠くなるのが数学の宿命。でも、小さい子どもにはそれが難しい。
だから「A子さんからりんごを2こもらいました」みたいな身近なところからまず入って、少しずつ話の抽象度を上げていくという微妙なサジ加減が算数教育では大事です。
今回、改めて小学校の教科書を読みましたけど、サジ加減という点ではすごく気を遣っているなという印象を受けました。
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