たとえ摂関家に寄進された荘園でも、調査や廃止の対象になった。藤原氏を始めとした有力貴族の荘園に大きくメスを入れることで、荘園の正常化へと邁進している。
また、荘園整理の一環として、後三条天皇は年貢などを測る基準となる「宣旨枡」(せんじます)を制定。枡の大きさを全国で一定にすることで、財政の再建を急いだ。このときに決めた枡の基準が、後世まで広く用いられることとなる。
白河天皇の時代に
摂関政治にピリオドを打ち、積極的に親政を推進した後三条天皇。その政治は「延久の善政」(えんきゅうのぜんせい)と呼ばれ、後世でも高く評価された。
だが、即位してわずか4年と39歳の若さで後三条天皇は退位する。20歳の第1皇子・貞仁親王に譲位を行い、白河天皇が誕生することになる。摂関政治から院政へと時代は大きく変化しようとしていた。
【参考文献】
美川圭『後三条天皇 中世の基礎を築いた君主』(山川出版社)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』(中公新書)
倉本一宏『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』 (ミネルヴァ日本評伝選)
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