私たちはなぜ「テレビ報道」に翻弄されるのか ニュースと「ワイドショー」の境目がなくなった

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たちが悪いのが、各番組は独自の判断で伝えているので個別に悪意はないことだ。PR会社を「処刑」しようと示し合わせているわけではないのに、結果として「社会的処刑」も同然のことが起こってしまう。

各番組に携わる個々人の自覚を促すだけではテレビ報道の怪物化は止まらないだろう。もう何十年も言われてきたことだ。

ワイドショーは存在価値を高められるのか

そもそもワイドショーは芸能人のゴシップを扱う番組だった。テレビ局の部署としても報道ではなく情報の分野だ。芸能ネタを扱っていた番組がいつの間にか報道と同じ話題を扱うようになった。だがスタッフは報道の専門性を身に付けていないことが多い。人材不足でついこないだ制作会社に入ったばかりの若者が記者まがいのことをやらされていたりする。それで報道と同じ題材を扱って、きしみが起こらないはずはないだろう。「社会の出来事」を扱うなら3カ月間徹底的に教育を受けるような仕組みが必要だと思う。

これからは番組単位ではなく、1日の中でどの番組がどのようなトーンでどんな題材を扱うか、編成上で考えるべきではないか。視聴率がとれると錯覚して、同じ話題をわーっと取り上げるから「社会的処刑」になってしまう。朝の番組で扱った話題は昼は避けて、埋もれている課題を取り上げるなど、全体で構成すべきだ。世間で盛り上がっている話題に飛びつくだけでは、ネットで起こりがちといわれるアテンションエコノミーと同じだ。

私はワイドショーの基本形式、一般人に感覚が近いタレントも含めて肩ひじ張らずに意見を出しあう番組はこれからも大切だと考えている。ただ、悪者探しばかりするならいらない。そんなことより、これから私たちが直面する課題の解決を考える番組なら存在価値が高まると思う。そうすれば配信も含めて見てもらえる。瞬間的に盛り上がる話題を扱っても、翌日は誰も見たいと思わない。これからのワイドショーは、アーカイブ価値もなければいらなくなるだろう。

境 治 メディアコンサルタント

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さかい おさむ / Osamu Sakai

1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。エム・データ顧問研究員。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。

X(旧Twitter):@sakaiosamu

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