私たちはなぜ「テレビ報道」に翻弄されるのか ニュースと「ワイドショー」の境目がなくなった
マスメディアにもリテラシーが必要だ
「和歌山のドンファン事件」の裁判で元妻に無罪判決が出たことに驚いた人は多いだろう。この事件では逮捕前から元妻の疑惑が取り沙汰され、逮捕された時は「やっぱり」と思った。怪しい状況証拠だらけと報じられ、私たちも元妻が犯人である前提で語っていた。
それが無罪。裁判員の1人が会見で判決について語り、どう考えたかを非常に真摯に説明してくれた。
「有罪の目で見ると有罪、無罪の目で見ると無罪に見えてくる」
この言葉は、状況証拠で判決を決める難しさを端的に示していた。「疑わしきは罰せず」の考え方に沿った、実に正しい判決だったと思う。もちろん、この後で上告され判決が覆る可能性はあるが、決定的証拠がないのに元妻を犯人と決めつけてきた私たちは浅はかだった。
さらに考えさせられたのは、この一言だった。
「ニュースや報道でみる事件と、裁判員としてみる事件では全然違うので、先入観は怖いなと思った」
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