「仕事と家庭」両立しようと疲弊する人の根本原因 禅僧が解説「疲れや不安を手放す」生き方

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「なすべきこと」ひとつひとつと向き合い、ていねいに取り組めば、仕事もおのずと楽しくなっていくに違いない。遊びについても同じことがいえるだろうが、ただひとつに徹することこそ、禅が伝える「幸せへのたしかな道」だということである。

結果は「求めない」

「やるだけやったんだから、それでいいじゃないか」

そう納得できる毎日を愚直に積み重ねることが、心安らかに生きるための極意です。

同時に、成功を収めるための秘訣でもあるところが、人生の面白いところです。

「結果自然成(けっかじねんになる)」という禅語があります。やるだけの事をやったら、結果はどうあれ、残るのは充足感のみ。

しかし、それだけの努力をしていたら、自然と結果がついてくるのがこの世の道理だという意味です。(100ページより)

ビジネスの世界の常識では、「そんな悠長な姿勢では結果が出せない」ということになるのかもしれない。努力しているのに結果が出なければ、無力感を覚えることもありうるだろう。

だが、それでもなお、努力を続けることだと著者は強調する。「結果がほしい、結果が出ないことはやる価値がない」という考えは、「いま、この瞬間」を生き切ることを第一とする禅にとっては邪念でしかないというのだ。

禅では、何かのために坐禅をすることを「邪禅」と呼んで、戒めているくらいです。

ただし、禅は「結果」そのものを否定しているわけではないのです。

ただ無心に目の前にある「なすべきこと」を続けていると、想像を超える結果がもたらされることがしばしばあるからです。

「小水常流如穿石(しょうすいのつねにながれていしをうがつがごとし)」。お釈迦様が入滅に臨まれるさいに弟子に説いた言葉です。僅かな水の流れでも絶え間なく流れ続けていれば、いつしか硬い石を貫いてしまう。目に見える変化がどれだけ小さくても、毎日の努力は必ず実るのです。(101ページより)

たいした努力をしなくても、運だけで成功している人もいる」という反論もあるだろう。だが、そもそも運をつかむには相応の準備が必要だ。努力なしには、チャンスをつかまえて生かすこともできない。ましてや、チャンスがいつ訪れるのかは誰にもわからない。

しかし確かに言えるのは、そのチャンスは誰のもとにも平等に必ずやってきているということです。

「誰家無明月清風(たがいえにかめいげつせいふうなからん)」。誰の家にも月は光り、清らかな風は吹いてくるという意味の禅語です。あなたにもすでに幸運は訪れているのです。これからも幸運は訪れることでしょう。(102ページより)

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