「仕事と家庭」両立しようと疲弊する人の根本原因 禅僧が解説「疲れや不安を手放す」生き方
他人と比較する理由など、どこにもありません。私たちに幸福をもたらすのは「盛る」ではなく「足る」のほうです。お釈迦様も、ご臨終前の最後の教えとして次の言葉を残しています。覚えておいてください。
「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで幸せを感じている。しかし、足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心は貧しい」(70〜71ページより)
「徹する」と楽になる
周囲の期待や望みに応えようとすると、大量のタスクを背追い込むことになりかねない。しかも現代社会においては、「マルチタスク」が常態化してもいる。たとえば、「昼休みにもデスクで仕事をしながら食事をとる」というような光景も決して珍しくはないかもしれない。
しかし実際のところ、マルチタスクほど脳を疲れさせるものはない。複数のことを同時に処理しようとすれば、かえって集中力や生産性が低下する可能性も否定できないだろう。「あれもこれも」と複数のタスクを同時進行させることは、必ずしも得策ではないのだ。
禅が説くのはマルチタスクの正反対、ただ「ひとつ」に徹することです。それができれば、あらゆる雑念が消えるからです。(中略)仕事をするときは、ほかのことを一切考えず、仕事に徹する。食事をするときは食事に徹する。家族といるときは団らんに徹する。徹するだけで疲労感はぐっと軽減します。(73ページより)
会社での仕事中に部下が報告にやってきたら、自分の手は必ず止める。そして部下の目を見て、話を聞く。休みの日であれば、ただ「休む」。仕事であれプライベートであれ、必ず「ひとつ」ずつ、それだけに没頭するべきだということだ。
「いまはこれ」とひとつに決めたなら、それがもたらす結果を考える必要もなし。「考えながら、やる」をしない。「やる」と決めたら、ひたすら「やる」だけ。「考える」と「やる」を混ぜてしまうと、あれこれ考えながら動くことになるため、頭が疲れてしまうのである。
「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という禅語があります。お茶を飲むときは、お茶を飲むことに心を集中し、お茶そのものになりきった気持ちでいただくこと。(中略)そんな意味です。職場でも家庭でも喫茶喫飯が大切です。どれだけのタスクを抱えていようとも、一気に取り組めるのは目の前にある1つだけ。そうであるならば、「あれも、これも」と心を乱さず、目の前にあるたった1つのタスクに徹するべきです。(74ページより)
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