40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

この峯岸ビルの敷地面積は狭い。しかしスクランブル交差点に面している面が大きいという点に着目し、「広告塔」としての機能に特化して企画された建物が「Qフロント」だった。

現在は「Qフロント」のある場所に建っていた峯岸ビルが取り壊された状況(写真:1998年、尾形文繁撮影)
「Qフロント」のTSUTAYAは2024年にリニューアルオープン(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)

Qフロントの竣工は1999年12月。当時はデジタル時代の初期だった。

完成当時からスクランブル交差点に面した巨大スクリーンに次々と映し出される映像のインパクトは大きく、またたく間に東京のトレンドスポットとなったが、当時からここが特に東急色のある存在と印象付けられていたわけでもなかった。

もう一つの中心地だった「センター街」

Qフロントの脇は、渋谷センター街の入口でもある。80年代後半から、東急vs.西武の覇権争いの外側で、もう一つの渋谷の中心となったのが、この渋谷センター街だった。

渋谷センター街のバーガーキング前。スカート丈はミニ、この時期流行した大きめの白い
ベスト、白いルーズソックス姿の女子高生(写真:1998年9月25日、尾形文繁撮影)
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事