40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環
その翌年の1968年4月、駅前のハチ公口やスクランブル交差点近くに西武百貨店渋谷店が開店。それはまるで、当時は池袋にしか店舗がなかった西武百貨店が、東急の本拠地である渋谷に殴り込みをかけてきたような出来事だった。
そもそも渋谷は、東急沿線の目黒区、世田谷区や、周辺の松濤、南平台、青山などの高級住宅地を後背地に持っていた商業地。西武百貨店としても、それまでの池袋店だけという状況から、新たな顧客を開拓する土地として有望と見込んだはずだ。
過熱する東急vs.西武
その後の73年には、駅前から渋谷区役所に至る坂上に、西武系のファッションビル「PARCO」が開店。75年にはPARCO PART2、81年にPART3と店舗を増やし、周辺の道路や路地には公園通り、スペイン坂、サンドイッチ通りなどの小洒落た名前が付けられ、そこは若者たちが回遊するショッピングロードとなった。
そうした状況に対して東急が手をこまねいていたわけはなく、1978年にはパルコ近くに「東急ハンズ」を、そして、道玄坂と東急本店通りの分岐点という街の中心の目立つ場所にファッションビル“109“を開店。その後も109-2やONE-OH-NINE、そしてONE-OH-NINE30’sを展開するなど猛攻をかけていった。
対する渋谷西武には、趣味と雑貨の専門店である「LOFT」(1987)、ファッションのセレクトショップの入るSEED館(1986)を開店。
この時期の西武セゾングループは、文化人経営者である堤清二による新たなライフスタイル提案型の店舗やブランドを次々に打ち出し、音楽の専門店である「WAVE」や「無印良品」など、若者や消費者の心を捉える店を次々と登場させていた。
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