40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環

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渋谷が東京の副都心として大きく発展するきっかけとなったのは1964年の東京オリンピックだった。

会場である神宮地区と駒沢地区の中間地点に位置していたため、大会前には、二地点をつなぐ国道246号(青山通り、玉川通り)の拡幅や、高速道路の建設などが進み、駅周辺にこぢんまりとまとまっていた繁華街をより広範囲にする都市計画も実現していった。また、NHKが内幸町から渋谷へと徐々に移転し、放送局のある街という華やかな要素も加わった。

駅東口の東急文化会館(1956年開館、2003年閉館)。館内にプラネタリウム、映画館やショッピング、レストラン街のある施設として親しまれてきたが、現在は「ヒカリエ」に建て替わっている(写真:1983年、吉野純治撮影)

昔から東急の“おひざ元”

それ以前から、渋谷は東急電鉄の東横線、玉電(玉川電気鉄道、後に田園都市線にその役割を引き継ぐ)の主要ターミナルであり、東急が本社を構える街だった。

東急東横店。東館(写真左)、西館、南館(写真右)の3つの建物で構成され、渋谷駅と一体化して、ある種の立体迷路と化していた。2020年に閉店して現在再開発中(写真:1989年、東洋経済写真部撮影)

東急には、東急文化会館というプラネタリウムやロードショー映画館のある文化・商業施設や、東急東横店など百貨店事業を展開してきたという歴史もあり、オリンピック後の1967年11月には、坂上の高級住宅地である松濤に近い場所に東急百貨店本店も開店している。

1967年に、渋谷駅前からは若干離れた場所に開店した東急本店。2023年に閉店して、跡地はホテル、集合住宅、商業などの複合施設として再開発中(写真:1992年、尾形文繫撮影)
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