40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環

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そうして盛り上がってきた渋谷の入口であるスクランブル交差点に面して、ビルの外壁や屋上に広告を満載した古ぼけたビルがあった。現在、巨大スクリーンヴィジョンを持つ「Qフロント」が建っている場所だ。

1987年の渋谷駅前スクランブル交差点。存在している建物は現在とほぼ変わりないのに、ただ、「Qフロント」がまだないことで、この場所の持つオーラが現在とは異なるように感じる(写真:1987年10月19日、東洋経済写真部撮影)

このビルの名前は「峯岸ビル」。実は、東急グループの一企業が所有していた1960年築のビルだった。

渋谷駅前のハチ公口を出て、混み合うスクランブル交差点を渡り、西武百貨店やパルコなどのある公園通りの方向に行こうとすると、このビル前をどうしても通ることになるのだが、館内のテナントもあまりパッとせず、80年代にはすでに若者の街として賑わっていた渋谷駅前の一等地になぜこんなビルが放置されたままだったのかは謎だった。

百貨店の“小競り合い”の現場だった

その背景には、このすぐ隣にある西武百貨店や、この先の坂上にある西武SEED館やパルコへの入口となる場所を“封印”しておく思惑があったのでは、とも思えてしまう。

ビルの外壁には、若干大きめの「東急ハンズ」と「東急本店」の広告。実は以前に東急百貨店の幹部社員から冗談半分に聞いた話だが「西武さんにちょっといじわるする意味で、あの場所に東急本店と東急ハンズの広告があったんですよ」という話を聞いたこともある。

現在はスクリーンヴィジョンだらけのこの場所だが、この時点では目立っているのはネオン看板だけ。(写真:1987年8月19日、東洋経済写真部撮影)
同じ場所から撮った現在の渋谷(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
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