40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
道玄坂下で駅前から見ても目立つ場所にできた109は、若者たちの渋谷での待ち合わせ場所としてもよく利用されるようになった(写真:1983年、吉野純治撮影)
109前にもスクランブル交差点があり、常に数多くの人が行き交う(写真:1985年、東洋経済写真部撮影)

一方で東急は、1989年に東急本店に隣接する場所に音楽ホールや劇場、美術館、映画館などを擁する複合文化施設『Bunkamura』をオープン。これは、セゾン以前から、沿線や本拠地渋谷で文化事業を手掛けていた東急が面目躍如をかけたプロジェクトだった。

覇権争いが生んだ“好循環”

このように、1970年代から90年代の渋谷の街では、東急vs.西武の対決構図が常に街を盛り上げることになり、それは渋谷の街全体を巻き込むような形で展開していった。

結果的に消費者側もそれをおもしろがり、渋谷に人が集まるという好循環につながり、渋谷は東京の繁華街として徐々にその地位を向上させていった。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事