子どもが他者を助けられるようになる育て方とは 「自己実現の欲求」のさらに上を目指すために
私も3人の子を育てながら、たびたびこのような経験をした。優等生で牧師の子どもでもあった娘たちは、幼い頃からよい子として評価されていた。それでも私は、常にまず先生の立場で考え、子どもと話すときは先生の肩を持つようにしていた。そうすることで、子どもたちは自分の態度や見方を改めて見直す機会を得て、自身のなかに隠れていた身勝手な気持ちに気づくことになった。これもまた、自分を理解する過程なのだ。
誰からも愛される子に育てる
しつけは愛のもう1つの姿だ。だから、やるかやらないかを選択できるものではなく、必須なのである。子どもが幼いほど、しつけはより重要になる。わが家は牧師の家庭なので、周囲からの期待値が高く、牧師である父親はもちろん、子どもたちも多くの注目を浴びた。
他の家庭の子どもなら気にされないいたずらや過ちでも、わが子たちがすると悪口を言われたり後ろ指をさされたりすることもあった。そのため、どうすればうちの子どもたちが周囲から愛される存在になれるかを考えた。
私はその正解を聖書から見つけることができた。「歩むべき道に応じて若者を訓練せよ。/そうすれば年老いてからもそれることはない」。これは「箴言(しんげん)」の一節だ。このように、聖書は子どもたちをしっかりしつけることを教えている。
実際、自分の子どもなら少々過ちを犯しても、失敗したとしても、かわいく思えるものだ。だが、他人はそう思わない。それに気づき、誰からも愛される子に育てるには、もう少し厳しくしつける必要があると考えた。そのため、礼儀もきちんと教え、親と大人を尊敬するようにしつけた。
家庭での厳しいしつけは、外でも自然に表れた。礼儀正しく、教会のボランティアにも熱心に取り組む娘たちは、周囲の人たちから気に入られ、よく褒められた。母親の私は決して子どもたちを甘やかさなかったが、他の人たちは娘たちに優しく、親切にしてくれた。
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