異彩放つ「早稲田のガウディ」内部の"特濃"な空間 ドラード和世陀設計した90歳の梵寿綱氏に聞く

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そこに現れたのは、巨大な「手」の彫刻だ。人が座れるほどの大きさの「手」が上から吊り下げられている。窓や天井にはステンドグラスがはめこまれ、神秘的な雰囲気が広がっている。

ドラード和世陀 梵寿綱
巨大な「手」のオブジェは彫刻家の竹田光幸さんの作品(写真:編集部撮影)

このインパクトあふれるドラード和世陀はどのように作られたのか。設計も装飾も計算されたものだと思ったが、梵さんに聞くと意外な答えが返ってきた。

「やろうと思ってやったんじゃなくて、こうなっちゃった。やる羽目になっちゃって、やってみたらこうなった。僕の建築は、“羽目になっちゃった”が多い。面白いよね」(梵さん)

設計まで進んだところで思わぬ事態

ドラード和世陀は、この土地のオーナーが梵さんを探して依頼した仕事である。上から見ると五角形のいびつな土地に集合住宅を建てることは決まっていたが、直線の壁で柱を建てるのは難しい。そこで当時の建築基準の範囲で、弧を描く壁に柱を連続して入れる構造を考えた。

しかし設計まで進んだところで、思わぬ事態に遭遇する。建設において銀行からの融資を受けられないことが発覚したのだ。紆余曲折の末、なぜか梵さんが分譲マンションの販売に関わり、売り切ることまで課せられてしまった。ちなみに、建設費を含めた事業規模は2億7000万円ほどだったという。

「僕も力を入れていた仕事で、恩義もあった。ただ、売るといっても不動産屋ではないし、宣伝広告費もモデルルームもない。大学近くの人気エリアといえども、高いマンションは売れにくい場所。とにかくイチかバチかでやりました」(梵さん)

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