「医療の進歩」がもたらした"とんでもない代償" なぜコロナパンデミックが衝撃的だったのか

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感染症の減少は、人類にとっておそらく史上最高の出来事といえるだろう。という文のあとに、「しかし」と続けるのは先走りすぎだろう。これは、まったくもって素晴らしいことなのだから。

しかし、これが異常事態を引き起こす。

感染症による死亡者数が減少したことによって、世界は感染症に対処する備えを失ってしまった――医学的には違うかもしれないが、心理的には間違いなくそうである。

100年前なら、悲劇ではあっても生活するうえで想定内であったものが、今では悲劇であり、かつ現代生活では想像も及ばないものになっている。

なぜパンデミックが衝撃的だったか

実際、新型コロナウイルスのパンデミックがあれほど衝撃的かつ圧倒的だったのは、そのためだ。

ニューヨーク市長だったエド・コッチのスピーチライターを務めたクラーク・ウェルトンは、かつて次のように書いた。

1930年代から40年代に育った人々にとって、伝染病の脅威にさらされるのは珍しいことではなかった。おたふく風邪、麻疹、水疱瘡(みずぼうそう)、風疹などが学校や町全体で大流行し、私自身もその4つすべてにかかったことがある。

ポリオ(小児麻痺)は、何千もの人々(ほとんどは子ども)が麻痺になったり死亡したりと、毎年多くの犠牲者を出した。ワクチンなどなかった。成長するとは、感染症という避けられない苦難を乗り越えることを意味していた。

生後数週間のうちに6種ものワクチンの恩恵を受けられる今の世代と比べると、まるで別世界の話のようだ。2世代前までは普通だったことが、現代を生きている私には、想像もできない。

もし新型コロナウイルスが1920年の世界を襲っていたなら、歴史書のありふれた悲劇の長ったらしい一覧のあいだに、もう1つの致死的パンデミックに関する1ページが追加されただけだっただろう。

しかし、2020年という比較的平穏なときに発生したがために、ウイルスの危険に対する人々の考え方を再形成するほどの影響を及ぼしたのだ。

精神科医のカール・ユングは、エナンティオドロミアと呼ばれる理論を唱えた。あるものが度を越すと、反対のものが生まれるという考え方だ。

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