名前が話題の台湾野球選手、本来の読み方に想い 名前を取り戻してきた「台湾原住民族」の歴史

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日本が第2次世界大戦で敗戦した後、台湾では1990年代まで中国から台湾に撤退した中国国民党による一党独裁体制が続いた。「山地同胞」と呼ばれる原住民族も、同化政策や経済格差、差別に苦しんだ。

民主化と同時に進んだ原住民族の権利回復運動

1980年代に台湾で民主化運動が本格化すると原住民族も奪われた権利を取り戻すために動き出した。自分たちの名前を取り戻そうとする「正名運動」をはじめ、台湾に本来居住していた先住民族としての権利を訴える先住権運動が広がった。

先住権運動を始めるにあたり、原住民族内では「山地同胞」に代わる自分たちの呼称を検討した。植民統治時代につけられた「高砂族」は論外とされたが、日本語由来の「先住民族」は候補に上がった。しかし、「先」が中国語では「すでに滅びた」ことを意味するために却下された。最後は「もとから住んでいる人々」という意味がある「原住民族」に決定。権利回復の訴えが徐々に認められた結果、1990年代の法改正によって「原住民族」は正式名称になった。

各部族名についても政府につけられた9つの族名ではなく、自分たちの本来の族名を回復する運動が広がった。現時点で公式に認定された民族数は16民族に増え、現在も族名の回復や認定手続きが続いている。

台湾原住民族の個人名も1994年から戸籍に伝統名を登録できるようになった。しかし、登録は中国語の漢字で登録しなければならないため、実際に登録されたのは伝統名の「当て字」にすぎなかった。

そのため、ギリギラウ選手も自分の名前を「吉力吉撈・鞏冠」という本来の発音とは異なる漢字で表記せざるを得なかった。原住民族は中国語の当て字ではなくアルファベットを用いて本来の正しい発音を登録できるようにも訴えて続けてきた。そして2024年5月の法改正によって、ようやく戸籍上に伝統名をアルファベットのみで登録できるようになった。

制度上は伝統名を回復できるようになったが、社会に浸透するにはなおも高い壁が立ちはだかる。台湾の政府統計によると、2012~2018年までに伝統名の回復を申請した人数は、原住民族の5%しかいなかった。差別を受ける恐れや周囲に迷惑をかけたくないとの気持ち、手続きが面倒、漢名に慣れてしまったなどの理由で、多くの原住民族は漢名のままで生活を送ることを選んでいる。

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