名前が話題の台湾野球選手、本来の読み方に想い 名前を取り戻してきた「台湾原住民族」の歴史
台湾原住民族は、フィリピンやインドネシアの先住民族と同じオーストロネシア語族(南島語族)に属する。従来は集落単位で暮らしていたので、「民族」という概念はなかった。日本植民統治時代以降、日本政府は平地と山地に住む人たちをそれぞれ「平埔族」と「高山族」(後ほど「高砂族」も用いられた)と呼称。さらに日本の人類学者によって、「高山族」を7民族に分類した。
よそ者に勝手につけられ、強要された名前
戦後、台湾を統治するようになった中華民国政府は「高砂族」の呼び方を「山地同胞」に変えた。ただ、民族名についてはおおむね日本政府のものを引き継いで用いた。そのため、当事者である原住民族は、日本や中国という外部から来た統治者によって勝手に「あなたたちは◯◯族だ」と決めつけられた状態が続いた。
さらに個人の氏名についても日本政府と中華民国政府はともに同化政策を推進したために各時代で日本名、漢族名を強要した。その結果、原住民族の人たちは漢字表記かつ「姓+名」の形式で戸籍を登録させられた。その中では役所の都合で本人も知らないうちに適当な名前につけられたことも多かった。
原住民族にとって名前は文化や社会に深く根付いている。例えば、台湾原住民族団体の声明によれば、パイワン族の場合に「ギリギラウ」は個人名、「コンクアン」は「家屋名」である。
「家屋名」は「家族が住んでいる『屋』の名前」である。もしギリギラウ選手は家族と一緒に暮らしていた「家屋」を離れて、自分の「家屋」を建てた場合、「ギリギラウ」の後ろにつく「コンクアン」も新たな「家屋名」に変わることになる。由緒が正しい「家屋名」を継ぐことは、パイワン族にとって非常に誇らしいことだ。
他にも父親または母親の名前を継ぐ連名制など、原住民族はそれぞれの想いを名前に込めている。しかし、日本植民統治時代から続いた同化政策によって、付けられた漢名を受け入れざるを得なくなり、伝統名に込められる伝統文化との絆も失いつつあった。
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