室町時代の日本人とアフリカの辺境の共通点 複数の秩序が並立して社会ができている

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最初は高野秀行さんがその経験と自由な発想から「面白い」仮説を立て、そこへ清水克行さんが学問的裏付けや見解を示す「両者の役割がきっちり別れた」対談になるのかと思っていたのだが、実際の対談では高野秀行さんの研究者的側面が表に出て、逆に清水克行さんからも面白くてわくわくするような仮説、発想がぽんぽん飛び出てくる結果であった。

「予想」は外れたが、それだけに最初の「期待」をはるかに超えてくる圧倒的カオスな問答が繰り返されていく。その一端を下記にご紹介しよう。

中世日本と世界の辺境はよく似ている?

さて、そもそもの対談の発端となった「室町時代の日本人と世界の辺境はよく似ている」件についてだが、実際にどこが似ているのだろうか? これもいろいろあるのだが、ひとつには中世日本の魅力として清水さんが語っている「複数の法秩序が重なっていて、それらがときにはまったく相反しているんだけれども、その中で社会が成立しているところ」が挙げられるだろう。

たとえば中世日本の支配者層である荘園領主(供花や武家や大寺社)は、自分の領内で盗みが起きると基本的には犯人を荘園の外に追い出していた。だが、住民は自分の大事な物を盗んだ人間が荘園の外で生きているのは納得できないといって、当時の荘園では「現行犯殺害を容認する」という「支配層側の思惑」と「住民側の思惑」が相反している限定ルールが設定されていた。

で、現代アフリカ等世界の辺境では、市場で泥棒が盗みを働くと捕まえて場合によっては死ぬまでリンチするなど、高野さんが2、3回見たことがあるほどに一般的なことなのだという。当然アフリカでは「盗んだ奴は現行犯なら殺害を容認する」なんて法律があるわけではないが、それはほぼ黙認されていることのようだ。

でも、法律的には絶対にいけないことじゃないですか、殺人ですから。だから、たとえば、その国の大統領なり警察トップなりに聞いたら、「わが国では許されない行為だ」と答えるんでしょうけど、実際にはリンチが行われていて、それを認めないと、 おそらく秩序維持ができないんでしょう。

 

そもそもなぜ「盗み」程度でそこまで怒って、場合によっては殺しまでいかなければいけないのかといえば、盗みを単なる財産上のマイナスととらえず倫理的に許せなかったのだろうということで両者合意している。歴史物を読む時の醍醐味のひとつは「いまの自分からは想像もつかない視点」を得ることができるところにあるが、世界の辺境(もちろん文化の違う場所でも同様だが)もまた、違った視点を提供してくれる場所なのだ。

このように、最初こそ文化的な共通性や、「応仁の乱」と「ソマリアの内戦」は戦争の中心が都ってところが似ているよねと展開していくのだが、後半に向かうにつれ話題はどんどん世界の辺境と中世日本史の比較文明論へと移り変わっていく。

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