仏教に学ぶ「家族との距離感」を整理する心得3つ 年齢を重ねれば当然、関係性も変わってくる
私は中学生の頃、「友達は財産です。ですから貪欲にためこもうとすることをお許しいただきたいのです」という言葉に出合って感動しました(出典は不明ですが、小説か戯曲のセリフでしょう)。お金などの財産がない思春期の若者にとって、友達は財産であり、増やしていいというメッセージはとても新鮮で魅力的に響いたのです。
大人でも「私は友達が多いほうです」と少々得意げに言う人は少なくありません。「友達の友達は、友達」という言葉もありますが、冷静に考えれば"友達の友達はただの他人"です。それでも、「私の友達の友達が……」とつい自慢してしまいたくなるのは、友達の多さを人間的な魅力の基準のように考えているからではないでしょうか。
しかし、広く垣根をはるような広範囲な人間的つながりは、ときに負担になることもあります。人脈を仕事などで活かせる現役世代ならいざ知らず、仕事も引退して人生後半に入ったら、心の垣根別に、一度友達をふるいにかけてみてもいいでしょう。
垣根のもっとも内側に残すのは、一緒にいると落ちつけたり、楽しい気持ちになれたりする人です。人生も折り返し地点を過ぎると、垣根のより内側にいる人の存在が、中身の濃い人生を送るために欠かせなくなってくるからです。
ただし、相手にも相手の「心の垣根」があることはお忘れなく。ふるいにかけて残った人に対して、友情の押し売りになっていないかどうかだけは、注意を払ったほうがよさそうです。
いくつになっても心配が尽きないすべての親へ
親離れ、子離れは、いつの時代でも言われる大切なことです。これができないと、親子という粘着性の高い依存関係が続き、ともに自立できないからです。
生まれたばかりの子どもは、親の庇護がないと生きていけません。そのために、親は我が身を顧みずに子どもを守り、養います。
父母への恩徳を説いたお経『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』には、「親は自分が飢えているときでさえ、自分はまずいものを食べ、うまいものは子に与える。乾いた快適な場所に子を寝かせ、自分は湿った不快なところにいる。誠実な心を持っていなければ親ではないし、親でなければ子を養育しない」と、身につまされるような描写があります(一部、母を親に変えてご紹介しています)。
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