妻との「永遠の別れ」男性が現実を受け入れるまで 「悲しいけれど」妻のいない人生を考えていく
「妻はまだ病院に入院していると思うことにしているんだよ」と話してくれたのは、長い闘病の末に妻を亡くした60代の男性でした。
「今はそうしないとさみしくて。死を受け入れられていないということなのかもしれないけど、今はそう思うことでなんとか生きているって感じかな」
少しつらそうに気持ちを打ち明けてくれました。
周囲の人から、「あきらめるしかない」「受け入れるしかない」といった現実を突きつける言葉を投げかけられることがあります。
大切な人の死を受けとめきれず、苦しんでいる状況では、こうした言葉はあまり心に響かないこともあります。
とはいえ、すぐには難しいとしても、少しずつ目の前の現実を受けとめていかなくてはなりません。
もちろん、つらい現実を認めることはなかなかできることではありません。長い時間が必要であったり、何年たっても認められなかったりする可能性もあります。
死という絶対的な力の前に人間は為すすべなく、無力であるといわざるをえません。
私たちはもはやその現実を覆すことはできないのです。
いくら渇望しても、亡き人は戻ってきません。
しかし、死の現実を変えることはできないとしても、その死をどう受けとめ、その後の人生をどのように生きていくかは、自分で選び取ることができるのではないでしょうか。
妻のいない人生を考えていく
大切な人の死によって失ったものと失っていないもの、自分の力で変えられるものと変えられないものがあるはずです。
まずは「自分にできること」と「できないこと」を区別してみましょう。そして、「できないこと」をやめること、あるいは人間の力ではどうしようもないことがあるという事実を認めて、「自分にできること」を考えてみましょう。
死は変えることのできない現実です。その現実をすぐには受けとめられないとしても、今の自分にできることに取り組み、主体的に生きることが大切だと思います。
先ほどの60代の男性は、こう話されていました。
「妻がいない人生なんて考えたことがなかった。だから、これからひとりでどう生きていくかを考えるには、少し時間が必要なんだ。
定年退職したらふたりで行ってみたいねって約束した場所がたくさんあったんだよ。しばらくはそれらの場所をまわりながら、これからの人生を考えてみようと思うんだ」