自己放任が招いた「孤独死」この夏の過酷な現実 "死の現場"が映し出す社会のいびつな側面

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ある50代男性は1部上場企業に勤めていたが、上司のパワハラで退職。その後20年以上、退職金と貯金でアパートに引きこもった末に、夏の暑さで命を落とした。遺族によると、長年の不摂生で男性の歯は抜け落ち、一本も残っていなかった。

日本は過剰なほどに「自己責任社会」だと感じる。自己責任を強く受け入れる人々が、セルフネグレクト、そして、孤独死へまっしぐらに突き進むのだ。

新品のエアコンが光り輝いていた

現役世代だけでなく、高齢者の孤独死にも、時に哀(かな)しい気持ちにさせられる。都内の築古アパートの一室で亡くなっていた80代女性。死因は熱中症である。切なかったのは、部屋の壁に新品のエアコンが光り輝いていたことだ。女性は、まさに清貧といえる生活を送っていて、生活費を切り詰めていた。そのため、エアコンをつけずに夏を乗り切ろうとしたらしい。

使い古してペタンコになった布団に染みた体液、壁から見下ろす新品のエアコン──。ちぐはぐなコントラストは、われわれの生きる現代社会を体現しているようで、今も鮮明に私の脳裏に焼き付いている。孤独死は属性も年齢も、その背景も人それぞれだ。しかし、このように以前から家族や地域から孤立しているケースによく遭遇する。

死の現場はうそをつかない。孤独死は、私たちの社会のいびつな側面を照らし出すスポットライトのようなものだ。家で独り亡くなることが問題なのではない。つながりを絶たれ、心身を病み、黒いシミだけを残して消えていく人が増えているにもかかわらず無関心が漂う、この状況が問題なのだ。

ある特殊清掃業者の言葉は、今も私の心に残っている。「自分たちのような仕事がなくなる日がいつか訪れてほしい」と──。

生きづらさを抱え、死の現場に日々立ち会う私も、その日が訪れることを心から願ってやまない。

菅野 久美子 ノンフィクション作家

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かんの・くみこ / Kumiko Kanno

1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。単著に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国』(双葉社)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(KADOKAWA)『母を捨てる』(プレジデント社)など。

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