古代世界で「庶民の生活」が苦しかった意外な理由 発明をもらたす「インセンティブ」という視点

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

照明を基準にするならば、労働から得られる収入は、先史時代から現代までのあいだに30万倍、1800年から現代までのあいだに3万倍上昇したことになる。

古代人にとって、闇夜を照らすのは大仕事だったが、わたしたちはほとんどコストを気にせず、指先だけで気軽に明かりをつけられる。

このような劇的な変化をもたらした要因は、ふたつある。ひとつは、照明技術の進歩(今も技術の進歩は日々続いている)。そしてもうひとつは、労働生産性の向上だ。

これはわたしたちが祖先に比べ、同じ時間でより多く稼げるようになったことを意味する。

知的エリートが推し進めたこと

農耕社会になると、知的エリートがアイデアを練ったり、モデルを築いたり、世界との新しい関わり方を考えたりする時間ができた。

古代メソポタミアでは、数学や地図や文書や帆船が飛躍的に進歩した。古代エジプトでは、美術や、文書や、建築に新境地が開かれた。マヤ文明では、天文学や記録管理が長足の進歩を遂げた。

古代ギリシャ人は科学、技術、文学、民主主義を発展させた。ローマでは、初期の社会保障制度すらあった。

98年から272年にかけ、孤児や貧しい家庭の子どもに食べ物を与えたり、教育の支援をしたりする「アリメンタ」という制度が実施されていたのだ。

ただし、この制度で救済されたのは、助けを必要とする人たちのごく一部だけだった。制度自体もアウレリアヌス帝の治世下で廃止された。

発明のエネルギーを何に注ぐかは社会によってさまざまだ。前2600年頃のギザの大ピラミッドの建設には、三角法とピタゴラスの定理の知識が活かされた。以後3800年にわたって、このピラミッドは世界で最も高い建物であり続けた。

しかしエジプト人は荷車を発明しなかった。代わりに頼ったのは人海戦術で、おびただしい数の労働者を使って、採石場から橇(そり)で石を運ばせた。

古代ローマの統治者は水道橋と美しいドームを建設させた。しかしローマで水車や風車が普及することはなかった。ヨーロッパ全土に水車小屋が広まったのは、ローマ帝国が滅びたあとだった。

なぜこれらの時代の優れた頭脳の持ち主たちは、労力を省く装置にあまり関心を向けなかったのだろうか。

次ページインセンティブの問題だった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事