「カラマーゾフの兄弟」が東大生に人気が高い背景 現代人も考えさせられる、作品のメッセージ
ここでイヴァンは悩みます。「カチェリーナのことを考えると、ドミートリイのことが嫌いだし、死んでほしいと思っている。それでも自分は、正しいことをしなければならない。でも、なぜそうしなければいけない?神はいない。すべて許される。それなのに、なぜ自分はここで、犯人はスメルジャコフだと言わなければならないのだ?」と。
このときイヴァンは自身の中の葛藤で、ついに発狂してしまいます。さらに「父を殺す」と酔った勢いで書いた手紙により、なんとドミートリイは有罪とされてしまいました。シベリア流刑懲役20年が言い渡されて、物語は終わります。
今の時代を生きるヒント
さて、この「カラマーゾフの兄弟」は、今の時代を生きていくためのメッセージを教えてくれます。
この物語の中で、父のフョードルはずっとこのような話をしています。
「神様がいるなら、自分の悪行は許されないだろう。でも、神様なんていないんじゃないか?」「人間は、何かを信じなければ生きていけない。誰かの前にひざまずかずにはいられない、哀れな生き物だ。その相手は神様かもしれないし、人かもしれない」
この考え方に対して、アレクセイは「神はいる」と信じています。そしてイヴァンは「神はいない」と言っています。とはいえ、イヴァンはそう言いつつも、自分のその言葉が本当なのかどうか、自信を持てていません。
父親のように「神様なんていないんだ」と楽観的になれるのであればもっと楽に生きられただろうし、アレクセイのように「神様はいる」と考えられるのであれば正しく生きようと思える。でも、彼はその間でずっと、葛藤しているのです。
イヴァンは、矛盾に満ちた人物です。「神様なんていないのだから、自分はどうあってもいいんだ」と口にしておきながら、「それは本心ではないだろう」と言われると動揺します。
最後の裁判の場面で、本当はドミートリイのことが嫌いで、恋敵だから死んでほしいと思っているけれど、それでも事件の真相を明らかにしなければならないと法廷に向かいます。そこで彼は発狂したわけですが、それはきっと、「何が正しくて、何が間違っているんだ?」という葛藤を抱えていたからなのではないかと思います。
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