坂口安吾の「堕落論」東大生にこんなにも刺さる訳 戦後の作品だが、現代人にも通じるメッセージ
浪人時に先生から薦められた「堕落論」
東大に合格している人は、文系理系問わず、名作文学を読んでいる場合が多いです。学内の食堂に行くと、「やっぱり太宰治はいいよね」「自分は武者小路実篤が好きで〜」といったような文学トークをしている東大生をよく見かけます。日常会話のレベルで話すくらい、文学作品が好きな東大生は多いわけです。
文学に触れるような授業があることや、高いレベルでの教養が求められる東大入試において文学の知識も求められる場合があるなど、さまざまな理由が考えられますが、やはりいちばんは「東大受験を乗り越える過程で、苦しい思いをしたときに、文学に支えられた人が多いから」なのではないかと僕は考えています。
例えば、僕が浪人して、予備校の東大志望のクラスに入ったときに、国語の先生からとある作品を読むことを勧められました。それは、坂口安吾の「堕落論」です。
「東大に落ちた人間たちに対して、よくもまあ『堕落論』なんてタイトルの本をおすすめするな、この先生は……」と思ったのですが、不思議なもので、確かに「堕落論」を読むと、浪人している自分のことを肯定して、もう一度頑張ろうという気になれたのを覚えています。
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