坂口安吾の「堕落論」東大生にこんなにも刺さる訳 戦後の作品だが、現代人にも通じるメッセージ
東大に合格してから大学でできた友達に「堕落論」の話をすると、不思議とこの本を読んでいる人は多く、「受験でうまくいかないときに読んでいた」という話をよく聞きました。
今回は、この「堕落論」という作品についてお話ししたいと思います。
「堕落論」は、要約すると「人間は堕ちるもので、堕ちることは救いだ」というメッセージが込められています。
人間は誰しも、美しいものを美しいままで保ちたいと思う精神性を持っている、と著者は語ります。花は美しいけれど、放っておいたら枯れてしまい、朽ちてしまう。だからこそ美しい状態のままで摘んで、その美しさを永遠のものにしてしまいたいと考える。人も同じですよね。美しい姿でいたいと誰もが思うものです。
でもその一方で、人間は堕落します。戦争が終わって、特攻隊の勇士・英雄と呼ばれた人たちが、闇屋で生きるかもしれないが、それでもいいのではないか。「死んでしまった夫のために一生独身で生きていこう」と考えていた女性も新しい男性の影を追っているが、それでもそれは間違ったことではないのではないか。
人間の本質とはそういうもので、堕落を止めることはできず、止めることによって救われるわけではない。むしろ、堕落することを受け入れるほうがいいと、筆者は語っています。
つまり、堕落するのは人間の本質であるのだから、堕ちる道を断ち切るべきではないのではないか、というのがこの作品の主張だと考えられます。
終戦直後の日本人に対するメッセージ
この作品が書かれたのは終戦直後の、どん底の状態でした。戦争で家族を亡くした人や、特攻隊の生き残りとして「生き残ってしまった」と考える人も多かった時代です。
戦時中は、特攻して散ることが美徳とされ、戦争から逃れた人に対して後ろ指をさすような価値観がありました。女性も、特攻して亡くなった夫のことを思って一生未亡人として生きることをよしとする考えがあったといわれています。
これは「美しいものを美しいままで終わらせたい」という価値観と合致する部分があるのではないかと思います。意地汚く生き残るより、綺麗に散るべきだ、と。
しかしそんな中で、戦争が終わった今、われわれは意地汚くなっても、生きていいのではないか、と語るのがこの作品のメッセージだったわけです。
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