坂口安吾の「堕落論」東大生にこんなにも刺さる訳 戦後の作品だが、現代人にも通じるメッセージ
これは現代を生きるわれわれにも当てはまることなのではないかと思います。先ほど僕は浪人したときにこの本を読んだという話をしましたが、不合格になって失敗し、それでももう一度東大を目指している自分に対して、この本がエールを送ってくれているような感覚になったのを覚えています。
一発で合格するような人たちもいる中で、自分の受験は、美しくはない。不合格になったにもかかわらず、諦め悪く、もう一回勝負を挑んでいる。そんな自分は間違っているのではないか、潔く諦めたほうがよかったんじゃないかと思う一方で、「人間は堕落する」という坂口安吾の言葉は、不思議とスッと胸のよどみを溶かしてくれたように感じました。
話は変わりますが、みなさんは、「今が初恋」という言葉を知っていますか?東京事変の「女の子は誰でも」でも、「現在(いま)が初恋」という言葉が登場し、そのほかにも小説や映像作品の中でたびたび使われる言い回しです。
初恋のときには「この人が運命の相手で、自分はこの人と出会うために生まれてきたんだ!」と思うくらいに感情を動かされるのに、その恋が成就しなかったとしても案外けろっとしていて、次の恋を求めるようになる。そして、その恋は前の恋よりも燃え上がるように感じられて、「前の恋は恋じゃなかった、これが初恋なんだ」と考えるくらいになってしまう……こういう精神状態のことを、「今が初恋」と呼びます。
「今が初恋」は、明らかに勘違いですよね。でも、幸せな勘違いだと思いませんか?同時に、人間はどんなに大きな失敗をしても、乗り越える強さ・したたかさを持っていると言えるとも思います。大恋愛の末に失恋して、死ぬほどつらい思いをしたとしても、次の恋を初恋と呼んでいい。そういうしたたかさを持っているのではないか、と。
明るい希望を与える1冊
現実はとても無情なもので、この本が発売された戦後は「戦争で死んだほうが、よかったのではないか」「生き残ってしまって、申し訳ない」と感じる人も少なくなかったといいます。
そんな中で、「堕落論」は「そう思う感情は間違っていないけれど、それでも、生きて、堕ちようよ」と優しく諭してくれます。堕落論というタイトルでありながら、この本はとても明るいメッセージを伝えてくれているのです。
意地汚くてもいい。堕落してもいい。堕落することを否定したら、生きることを否定することになる。だったら、何度失敗しようが、汚くなっていこうが、それでもそれと向き合って生きていくべきなのではないか。
「今が初恋」でいいし、「あれがダメならこれでいこう」でいい。生きていくというのは、そういうことなのではないか。この本は、時代を超えて、そんな教訓を伝えてくれているのだと思います。
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