嫌われ養鶏所→人気観光地に「たまご街道」の軌跡 地域住民と共生するためにやってきたこと
相模原市と聞いて「卵」「養鶏場」をイメージする人は少ないだろう。だが、相模原市南区には歩いていけるほどの距離に7つもの養鶏場が集中する「たまご街道」なる一画がある。卵好きにはなんともそそられるかわいいネーミングだが、その背後には高度経済成長期以降の長きにわたる養鶏事業者による苦労があった
週末にもなると人でいっぱいに
相模原市南区麻溝台(あさみぞだい)。どの駅からもやや距離のあるこの地域に週末を中心に多くの人が卵のみならず、卵を使ったスイーツや料理を求めて詰めかける。
例えば、直売所兼カフェ「スイートエッグス」では朝7時から生みたて卵を使った卵かけご飯などをモーニングに食べようという家族連れで駐車場が埋まり、個数制限があってなかなか手に入らないシュークリームも早々に売り切れる。「昔の味たまご農場」は直売所の脇のキッチンカーで火曜日、木曜日に営業する鶏肉を使ったハンバーガー屋を販売。今やメディアにも取り上げられる相模原市の観光名所となったが、実は、もともとはもっと多くの養鶏所があった。
名門・相模原ゴルフクラブの南側に位置する麻溝台は、水利に乏しくやせていることから近代に至るまで桑畑、雑木林となっていた土地。戦時中に練兵場として使われた後、戦後に満州からの引揚者が入植したものの、農作物が育ちにくいために開拓は進まず、土地を手放したい人が続出した。
そこで、農業以外で何かに使えないかと検討が始まり、土地が平らなことから養鶏がいいのではないかという案が出た。結果、新横浜辺りにあった養鶏場が誘致されたほか、庭先で養鶏をしていた農家の参入などもあり、最盛期の昭和30年から40年代には40軒もの養鶏場が集まる「養鶏団地」と言われるほどになった。
今でも東日本の代表的な養鶏場経営者には麻溝台出身の人が多く、この地は日本の近代養鶏発祥の地の1つともいえる。
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