「誰にでも似合う服」年160%伸びるアパレルの正体 女性たちに熱烈支持される服はいかにして生まれたか

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--3年間、アクセンチュアで経営コンサルティングを担当された後、ルイ・ヴィトンジャパンへと転職されました。職種もあって、あまり装いに気を遣う必要もなかったです。

ファッションの会社ですが、そこではCRM(カスタマーリレーションシップマーケティング)の担当として、データベースを整えて、顧客分析をして、施策を打って。それを売り上げに繋げていくということをひたすら担当していました。

その後は、バイオサイエンス系のベンチャー企業へ転職したんですけど、小さなベンチャーですから、経理から労務までさまざまな仕事に携わりました。

(撮影:今井康一)

--3つの会社で、それぞれ全く異なるキャリアを積まれたんですね。

今思うと、どの会社で得た経験も、起業や経営に生きているなと感じます。とはいえ、選択や行動の理由はすべて後づけだなと感じています。その場その場で得られる最高の選択を自分なりにしてきたつもりで。それが後から、ストーリーとして繋がっていくのが面白いなと思っています。

息子の白血病がキャリアと人生の転機に

--“キャリアは人生が進んできた車輪の跡、轍(わだち)”ということですね。

そう思います。その時々、先のことも考えますけど、結局、予測できないことは多々訪れますから。

--市原さんのキャリアの最大の転機も、予測もできないことで訪れました。

31歳の時です。バイオサイエンス系の企業で、2人の子どもを育てながら働いていた時のこと。3歳の長男に微熱が長く続いて、風邪がなかなか治らないのかなと思って、病院に連れて行ったんです。貧血の症状も出ていたので血液検査をしてみたら、医師の先生から、「息子さんは白血病です」と告げられて。その日から、すぐ入院することになりました。

全く想像していませんでしたし、衝撃的でした。先生に、この先、どんな風に長男を治療していくのかという話を伺いながら、私は会社を辞めることになるだろうなと覚悟したことを覚えています。

当時は、正社員でないとキャリアがとだえると思っていたので、不安でしたね。ただ、仕事のない人生は考えられなかったので、息子の看病に軸足を置きながら、続けるにはどうしたらいいのかと考え始めました。

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