「誰にでも似合う服」年160%伸びるアパレルの正体 女性たちに熱烈支持される服はいかにして生まれたか

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--試行錯誤された?

そうですね。まずは、フリーランスとして出来る範囲で仕事をすることにしました。ただ、当時はフリーとしては自分の理想通りに働くこと、キャリアを繋げていくということは難しいなと感じていました。

もちろん、フリーランスとして働くとしても、職種によっては雇用形態に関係なく学べることも多々あると思います。でも、当時の私は、それまで自分が身につけてきたことを切り出すような働き方だったんです。新しい知識を身につけたり、新たなツールを学んだりする機会が得られなくて。

発注する側からしたら当たり前のことですが、私としてはアウトプットし続けるだけだと、いつか枯渇してしまうのではないかという難しさを感じていました。

(撮影:今井康一)

その状態が7年近くたって、起業しようと思い立ちました。

息子の病状がある程度落ち着いてきたけれど、まだ経過観察中でしたし、入院や通院も続いていく。すると、フルタイムに復帰するのは難しいかなと。会社員に復帰するとしても、もう少しスピードを落とした働き方がしたいけれど、その選択肢は当時はまだあまり無いように感じられました。

深まった家族の絆も起業の後押しに

--現実的に考えた結果だったと。ご家族の賛成は得られたんですか?

むしろ、後押ししてくれました。夫は当時も今もサラリーマンとして粛々と仕事を全うしていこうとしている人なので、パートナーである私は、リスクのあることに挑戦してみても良いのではないかという考え方で。「キミはハイリスクハイリターンに賭けてみたら?」と言ってくれました。

--理にかなっていますし、心強いですね。

昔から、様々なことを相談出来るパートナーではありましたけど、息子が病気になってから家族の結束は強くなりました。

実は、息子が病気になる以前、共働きで子育てしていた時は、もっと相手にこうして欲しいという不満がお互いあったし、よく喧嘩もしていました。どこのご家庭にもあるような、夫婦間のモヤモヤもありました。

でも、病が発覚してからは、ある意味、家庭内が平時ではなくて戦時のような状態になったから。家族全員で協力して“息子の闘病”を克服しようというゴールに向かうようになったので。もう些細なことは気にならなくなりました。

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