物語は、典型的なアンチヒーローものだが、特に豊川悦司が演じるハリソン山中という極めて反社会的なキャラクターが非常に重要な位置を占めている。
ハリソン山中はただの凶悪犯罪者ではない。彼には驚くほどさめたところがある。第5話で、グループの交渉役である辻本拓海(綾野剛)を相手に、高価なウイスキーについて講釈し、その流れで突然「土地自身の本能」の話を語り出すのだ。
ハリソンは、「土地は土地として、太古から、ただ、そこに存在していただけです」と述べ、それを所有しようとする人間たちについて、「知恵が文明を生み出し、生物界の頂点に君臨させ、そして、こんなにひどい世界を作り上げた。その最たる愚行が土地を所有したがるということです」と批判してみせる。「本来は誰のものでもないはずなのに、人間の頭の中だけで土地の所有という概念が生み出され、それによって戦争や殺戮が繰り返されてきた」と。
そして、「土地自身には人間を滅ぼしたいという本能があるのかもしれませんね」などと、まるで自らの詐欺行為を棚に上げるような、あるいは正当化するかのような結論に達するのだ。
要するに、ハリソンにとって地面師詐欺は、欲深き人々に対して警鐘と教訓を与える愛のムチなのだ。そういう意味において、彼はそのどこか人間離れしたミステリアスなたたずまいに象徴されるように、わたしたちにとって悪魔的な存在であるといえるだろう。
土地にまつわる、恐ろしい寓話
トルストイの民話に「人にはどれほどの土地がいるか」という恐ろしい寓話がある。農民である主人公のパホームは、妻たちの会話に触発され、「地面」に取り憑かれるようになる。暖炉の後ろにいた「一疋(ぴき)の悪魔」がパホームの心の内を見抜き、《ひとつおまえと勝負してやろう。おれがおまえに地面をどっさりやろう――地面でおまえをとりこにしてやろう》と悪だくみの標的にされるのだ。彼は、いろいろな人々を介して、最終的にパキシール人の村にたどり着く。そこでは、広大な土地が格安で手に入ると聞いたからであった。
パキシール人の村長は、開口一番「よろしゅうございます。どうかお気に入ったところをお取り下さい――地面はいくらでもありますから」と耳を疑うような提案をする。なんと1日かけて歩いた足跡で囲った土地を「千リーブリ」均一で売るというのである。ただし、日が沈むまでに出発点に戻らなければ“ふい”になってしまう。これが村長の説明したルールだが、パホームは狂喜する。結局のところ、それが彼自身の破滅を招くというブラックユーモアで締めくくられている(以上、『トルストイ民話集 イワンのばか』中村白葉訳、岩波文庫)。
ハリソンはこの民話に登場する悪魔によく似ている。と同時に「好きなだけ土地をやる」と豪語する風変わりな村長でもある(民話では、中盤にパホームを導く人々がすべて「一疋の悪魔」の化身であったであろうことが種明かしされている)。
このような多数の人物が入れ替わり立ち替わりでパホームを地獄へと引きずり込む手の込んだ仕掛けは、あまりにも地面師詐欺的ではないだろうか。何かを必要以上に所有したいという見果てぬ夢の先には災厄が待ちかまえているのだ。
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