父急死、母子家庭から私大医に進んだ彼女の顛末 『ブラック・ジャック』に憧れた結果とその費用

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自らの死期を予期していたわけではないが、杉村さんの父親は亡くなる前に家を購入していた。そして、自身が亡くなり、ローンの返済義務がなくなったことで、母子家庭となった杉村一家はその家に住み続けることができた。

また、中学3年生という高校受験を控えた時期の不幸ごとではあったが、幸い杉村さんは県立の一貫校に通っていたため、受験の心配はいらなかった。

「兄が高校受験をしていたので『わたしも受験したい!』という理由で中学受験しました。兄は私立高校でしたが、わたしは親に学費の高い私立はダメと言われ、受験校は公立を選びました。とにかく、わたしはブラック・ジャックになりたかったので、中学校から高校に上がるまでの受験の必要性を感じられず、6年間一括で勉強できる環境のほうが苦痛もないだろうと考えたのです」

ところで、間黒男(ブラック・ジャックの本名)は学生時代、ダーツやアルバイトに興じていた。そこで、杉村さんは勉強はもちろんのこと、遊びにも力を入れた。

「中学校では囲碁将棋部、高校では放送部や文芸部、大学ではテニス部という具合にいろいろな部活で活動し、アルバイトもしました。ゲームも好きでしたし、マンガやアニメもよく見ていました。文化祭や体育祭、合唱祭などの学校行事も全力で楽しんでいました。

というのも、勉強だけをしてきた人間よりも、いろいろなことを体験してきた人間のほうが、人に寄り添えると思ったからです。それに、ブラック・ジャックも人間性に溢れる人物として描かれていますからね」

すべて1次試験落ちで浪人を決意

とはいえ、家族も高校生の進路相談まで「まさか本当に医者になりたいんだ」とは思っていなかったという。そして、当然のことながら、現実的に医学部進学へのハードルは高かった。

「軒並みE判定でしたね。国立も私立も関係なく、なんとか引っかかりそうな大学は受験しましたが、すべて1次試験落ち……。ただ、一度だけC判定を取ったことがあったため、母も『行けるかもしれない』と考えてくれて1浪させてもらいました」

こうして杉村さんの浪人生活がスタート。中学・高校のときは「医学部はお金がかかるし、自分の力で勉強しても学内では十分以上の学力だった」という理由で学習塾は3カ月で辞めたが、今回ばかりは人の手を借りなければ勉強できなかった。

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