震災直後に行った炊き出しは、被災地の方々約700人に届き、地元いわきに貢献したいという気持ちを持っていた松本さんも強いやりがいを感じました。一方でこの炊き出しにかかった費用約30万円は、すべて自分たちの持ち出し。ビジネスを失い資金状況も厳しくなっているベンチャーにとって必要なことは、感謝の言葉だけでなくビジネスとしての継続性。炊き出しをいつまでも続けられるわけではありませんでした。しかし、この炊き出しがこの後、松本さんたちが始めることの大きなヒントとなったのです。
「炊き出しでは、被災地の人たちが一箇所に集まれば力になるということを感じました。この力こそが可能性だと感じたのです。そして、炊き出しの帰り道、皆で銭湯に入りながら、決まった場所、すなわち飲食店の集積のようなものを作って、皆の力が集まるところをつくれないかという企画が持ち上がったのです」
「その後3カ月ずっと走り回って物件を探して、やっと見つけたのはいわき駅から近い古いスナック街。ただそこは、震災前からシャッター街になってしまっているところで、私が高校時代も不気味で入れなかったような場所でした。でも、オーナーさんが若い方にかわっていたというのもあり、若いわれわれのプランに運よく賛同もしていただいたし、ほかに選択肢もなかった。こうして、そこを震災復興のシンボル的な場所として、飲食店街に変える計画がスタートしたのです」
地元出身とはいえ、活動はまったく理解されず……
こうして、始まったのが「夜明け市場」です。しかしながら松本さんは、最初はまったくうまく行かなかったと言います。
「地元の創業支援金などを使いながら、学生たちの手などを借りて補修したりして、何とか「夜明け市場」をオープンさせました。しかし、今は13ある飲食テナントも、2011年11月のグランドオープン時には2つしかありませんでした。なかなか地域の方からも理解されず、テナントも埋まらないのでお客様も集まりませんでした。でも、すでに家賃を払っているテナントからはどうやって盛り上げるのかと日々怒鳴られて怒られるわけです。一緒に夢を見るだけではうまく行かないんだと。はじめのころは本当に辛かったですね」
いくら地元出身と言っても、いきなり東京からやってきて、古いスナック街を新しくしようとする若者は、最初は地域の人たちから奇異の目で見られたでしょう。しかしそんな状況下でも松本さんは、諦めませんでした。地元の方々に理解してもらえるように、日々コツコツとアクションを積み重ねていったのです。
「まずはできることからと、毎日毎日、夜明け市場とその周辺を掃除していました。そして少しでも興味を持ってもらえた方に、自分から声をかけました。そうしていると、いつもあの若い者は掃除しているねと言われるようになり、地域の方にも顔と名前を覚えてもらえるようになりました」
「街のイベントなども積極的に手伝っていました。すると、地域の人たちからも少しずつ理解されるようになっていったのです。こうして少しずつ来てくれるようになるだけでなく、紹介などでテナントが増えていったりして、1年後にはテナントが9店舗まで増えました。店が集まりだすと、口コミなどで少しずつお客様が増えてくる。ようやく集積が起こって街に認知されるようになってきたんです」
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