原発被災地の「鉄道代替輸送」に足りないもの 帰還困難区域内の列車代行バスに乗ってみた
大震災から約4年弱、代替輸送機関がようやく整備
2011年3月11日の東日本大震災から約4年弱。2015年1月31日、不通になっていたものの、直接の代替輸送手段がなかったJR常磐線の「竜田(福島県楢葉町)~原ノ町(同南相馬市)」間(参考路線図はこちら)に、1日2往復の列車代行バスが運転を開始した(時刻表などはこちら)。これで被災して不通となっているすべての路線に対し、ようやく鉄道の代替輸送機関が整備されたことになる。
この代行バスは、2014年11月27日に開かれた「浜通りの復興に向けたJR常磐線復旧促進協議会」において、JR東日本が設定を表明していたものだ。列車代行バスだけではなく、路線バスなど、同区間を結ぶ公共交通機関は運転されていなかった。言うまでもなく、福島第一原子力発電所事故の影響である。
今回の代行バスにしても、同事故により設定された「帰還困難区域」および福島第一原子力発電所から20km圏内を通る。
前提条件として除染が進んだことから、常磐線に並行する国道6号線は、帰還困難区域内で停車しないことを条件に、2014年9月15日より、自動車のみ楢葉町~南相馬市間の自由な通行が可能となっていた。そのため代行バス運行が可能となったのだ。ノンストップで走り、途中の各駅には立ち寄らない。
なお、この区間以外の東日本大震災における不通区間においては、道路復旧の状況にもよったが、震災から遅くとも数カ月のうちには、列車代行バスまたは路線バスによる代替輸送が実施されている。
放射能災害が発生し全住民の避難が行われた、すなわち無人地帯となったという点において、常磐線のこの区間は特殊な例で、代行バス運行の実施が大幅に遅れたのは、やむを得ない。だがこの区間が途切れたことで、より広域的な交通に支障が出ていなかったか。代替輸送のあり方について考えてみる、良い機会だろう。
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