いわき「夜明け市場」が挑んでいることとは? 地元復興支援が「自分の夢」の復興に繋がった

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今でも、この「夜明け市場」を中心に、いわき市の街づくりに奔走する松本さん。高校時代から、町の魅力がなくなっていくいわきを何とかしたいという夢を抱き続けてきました。しかし、そんな夢を持っていた松本さんも、震災がなければ、東京からいわきに戻ってくることはなかったかもしれません。

震災が起きたこと。そして、その復興を支援することが、自分自身の「夢の復興」にも繋がったということです。

最初に入社した会社が1年半で倒産……

「高校時代の夢が街づくりだったこともあって、大学・大学院では建築を勉強していました。しかし才能がある人たちを前にして設計では勝負できないと思い、むしろ建築家を生かすプロデューサーの必要性を感じ、卒業後には建築をビジネスにする不動産業界に行ったのです。入社当時はJ-REITなどで、不動産ベンチャー全盛。とにかく借金してビル作って売り抜ける、リスクをとった者勝ちみたいな時代でした。入社した不動産会社もどんどん大きくなっていったのですが、サブプライムローン問題によりバブルが崩壊しました。そしてある日、会社に行ってみたら役員全員と弁護士団が集まっていて、社員全員がその場で解散、と言われました。入社して1年半で会社がなくなってしまいました」

こうして、新卒で入った会社がいきなり倒産するという厳しい状況になった松本さん。一級建築士という資格を持っていながらも仕事もなく、そして普通にまたサラリーマンとして働くことへの違和感もあり、失業手当をもらいにハローワークに行く日々が続きました。暗い顔で職を探している人々に囲まれながら考えたこと。それは、会社は自分を守ってくれるわけではない、どこまでも自己責任で仕事を選択しなくてはいけないということ。どの道自己責任なのであれば、やはり自分がやりたいことに少しでも近いことで働きたい。その時に出会ったのが、小学校5年生の時からの親友が、地域活性化のために立ち上げた47プランニングという会社でした。

「自分は失業者ですから失うものは何もなかったし、自己責任で仕事を選ぶのであれば、自分の夢と近いことができる仕事を選びたかった。しかし、入社したのはよかったのですが……」

親友が立ち上げたばかりのベンチャーを支えるパートナーとして入社したものの、その直後に起こったのが東日本大震災。福島の郷土料理店やケータリングカーの東京でのオープンを4月に控え最も忙しくしている時でした。

震災直後に福島で行っていた炊き出しの様子

「震災が起こって、福島から食材が入ってこないどころか生産者とも連絡がつきません。社運をかけて、すべての資金を投入して開店するつもりだったお店やケータリングカーのオープンが見えなくなりました。このままでは会社が持たないと思っても、できることもありません。東京にいても仕方ないし、そもそも自分たちの故郷・いわきも被災していたこともあり、社員総出で新品のケータリングカーをもって福島まで炊き出しに行きました」

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