「キャラ」を使い分けるのは、悪いことですか 人を生きづらくさせる「観客からの圧力」
一度演じるようになったキャラからいかに抜け出していくか。これは、現代社会において、人がいかに成長していくか、という問題とほとんどイコールといってもいいぐらいです。
逆にいえば、少し時代をさかのぼれば、そういう「固定化したキャラの問題」を回避する社会の仕組みがあったんですね。
その象徴が、徒弟制度です。お店に入った当初は「丁稚」だった人が、手代、番頭とだんだんと出世の階段を上る中で、いやおうなくキャラクターが変わっていく。「丁稚」と「番頭」では、ファッションも、話し方も、表情も、歩き方も、すべてが違う。つまり、社会システムとして「キャラが変わる」ステップがきちんと作り込まれていたわけです。
キャラから脱皮するための、オススメの方法
僕は「キャラクターを使い分ける」ということ自体には肯定的です。ただ、友達グループによってキャラクターを使い分ける、というだけでは、そこには成長の時間軸、すなわち「歴史」がありません。
つまり人間関係の「横軸」での変化ばかりで、人が成長していく「縦軸」のベクトルがないのです。これは長期的に見ると、しんどい状況だと思います。人間的成長をともなわずに、対人関係の中でキャラを変え続けるだけというのは、あまりに不毛です。
観客(オーディエンス)の力が強く、自分のキャラから脱皮できずに苦しんでいる人に、僕がオススメしている方法があります。それは「旅に出る」ということ。それも、あまり目的を定めない旅がいい。日本テレビの番組『笑ってコラえて!』に、「ダーツの旅」というのがありますね。ダーツの刺さったところにロケに行く、というあの企画。ああいうふうに、時には自分の運命をサイコロに任せてみる、というのがいいんです。
一人で旅に出て、周囲に自分を知る人がいないところでは、僕らは自然と、自分が知らなかった自分を演じ始めます。できれば5泊、短くても3泊以上のひとり旅に出る。帰ってきた頃には、あなたはそれまでの「キャラ」から脱却しつつあるのではないかと思います。
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