「キャラ」を使い分けるのは、悪いことですか 人を生きづらくさせる「観客からの圧力」
キャラを作ることで、自分の居場所を見つける。それは、ある程度までは非常に有効な方法ですが、必ずどこかで、息苦しさが出てくる。それは結局のところ、そのキャラが自分で選びとったものというよりは、誰かから押し付けられたものだからです。
僕が今の若い人たちを見ていてちょっと気になるのは、「オーディエンス」(観客)の位置にある人たちの影響力が強すぎる、ということです。「◯◯さんはボケキャラだよね」ということがいったん定まると、なかなかそこから抜け出すことができない。
それは、グループ内はもちろん、そのグループからちょっと距離のあるような人たちが、いわばミュージシャンのライブを眺めるみたいに、「ボケキャラとしての◯◯さん」をつねに見ていて、その空気づくりに加担しているからです。
そういう「観客」の空気に呼応するようにキャラを演じるようになると、もうそのキャラから抜け出せなくなる。「自分のキャラに息苦しさを覚える」というのは、そういうことなんだと思います。
安心して生きられるが、成長はできない
これは、どんな世界でも起こりうることです。たとえば、芸能やお笑いの世界でも、あまりにも熱心なファンがついてしまうと、それまでの枠組みを超えた成長が難しくなってしまう、ということが起きます。熱心なファンが期待するネタなり、曲なりを、同じように繰り返すということしかできなくなってしまう。いわば「期待に引っ張られる」わけです。
そういうファンからの無言の圧力にアクターが引きずられてしまうと、その人の成長が止まってしまう。これは別に芸能界に限ったことではありません。学校や会社など、メンバーがある程度以上に固定化されたコミュニティにおいては、ほとんど避け難く起こってしまうことなんです。
ただ、繰り返しますが、そうやって固定化したキャラの枠組みの中で生きるのは、悪いことばかりではありません。しっかりした「居場所」があったほうが、人は安心して生きることができる。ただ、人生のどこかで、そういうしがらみから脱していかないと、人は成長することはできない、というのもまた事実である、ということです。
僕らはみんな、他人から嫌われ、居場所を失うことに、心のどこかで恐怖心を抱いています。だからなかなか、いったん演じるようになったキャラを変えられなくなってしまう。そこには、現代社会における「観客」からのプレッシャーの強さ、という問題が影を落としているのだと思います。
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