それに対して、式部は「つれづれと ながめふる日は 青柳の いとど憂き世に 乱れてぞふる」と返答。
することもなく、長雨の降る今日のような日は物思いに耽って、いっそう辛くなる世の中に、柳の枝のように思い乱れて過ごしております……と、精神状態はますますよくないと伝えている。
さすがに度が過ぎているんじゃないかと、式部に「かばかり、思ひくしぬべき身を、いといたうも、上ずめくかな(ずいぶんと貴婦人ぶってるのね)」と批判してきた人もいたが、それでも式部の心は動かない。こんな和歌を詠んでいる。
「わりなしや 人こそ人と いはざらめ みづから身をや 思ひすつべき」
仕方がないことだ、あの人たちは私を世間並みの人だとは言わないだろうが、みずから我が身を見捨てることはできない――。
実家に逃げ込んだ状況から、頑として動かなかった式部。内田百閒の「イヤダカラ、イヤダ」を思わせる、この意思の強さがあったからこそ、式部は未曽有の長編物語を書き続けることができたのだろう。
「私は何もわからないです」作戦
それでも秋頃までには、式部は再び出仕するようになった。数カ月も実家に引きこもっていたことになるが、その間に自分の身の振り方を考えたらしい。
『紫式部日記』には、多数の女房たちと暮らしていれば言いたいこともあるけれども、「心得まじき人には、言ひて益なかるべし」つまり、「言ってもわからない人に言っても、何の得もない」と達観した胸中を明かしている。
そして「ほけ痴れたる人(ぼけて何もわからない人)」になりきったと、バカなフリをして周囲を欺くことに決めたのだという。
その効果はテキメンで、皆からは「かうは推しはからざりき(あなたがこんな人だとは思いませんでした)」といい意味で言われたようだ。
以前は式部に対して、みんなでこんなふうに思い込んでいたと打ち明けている。
「ひどく風流を気取っていて、近づきがたくてよそよそしい態度で、物語好きで由緒ありげに見せ、何かというと歌を詠み、人を人とも思わず、憎らしい顔で見下す人に違いない」
これには式部も「そこまで警戒されていたのか……」と内心、愕然としたことだろう。こんな好奇な視線に晒されたならば、式部がいきなり出仕できなくなったのも、無理はない。
やむなく「キャラ変」したことについては「人にかうおいらけものと見落とされにけるとは(人からこんなふうにおっとりとした性格だ、と見下されるようになったか)」と、式部としては忸怩たる思いもあった。
それでも「ただこれぞわが心(これこそが自分の本当の顔なのだ)」と言い聞かせることにしたという。復帰の裏には、並々ならぬ努力があった。
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