出仕して早々に憂鬱になってしまったようだ。「初めて内裏わたりを見るにも、物のあはれなれば」、つまり「初めて内裏で生活をするにあたって、物思いに耽ることがあり」という詞書のあとに、こんな和歌を詠んでいる。
「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」
(わが身のつらい思いがいつまでも心の中についてきて、いま宮中で心が幾重にも思い乱れることだ)
続いて、「まだ、いとうひうひしきさまにて、古里にかへりて後」とあり、宮仕えに慣れないままに実家にいったん帰ったらしい。
そんなときに「ほのかに語らひける人に」、つまり、宮仕え中に少し会話をした人に対して、こんな和歌を送っている。
「閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けば を絶えの水も 影見えじやは」
岩間を閉ざした氷が解ければ水に影が映るように、私に心を開いてくれない方々が打ち解けてくれれば、御所にお伺いしないはずがありません――。そんな意味になる。慣れない宮仕えでよほど嫌なことがあったのだろう。
出仕を催促されても簡単には応じなかった
元旦から数日が経つと、中宮から「春の祝歌を贈るように」と、式部のもとに要請があった。実家に退散してから、まだ出仕していなかった式部は、自分の家から次のような和歌を贈っている。
「み吉野は 春のけしきに かすめども 結ぼほれたる 雪の下草」
(吉野は春の景色にかすんでおりますが、雪に覆われて地にはりつく下草のように沈んだ気持ちでいます)
ずいぶんとお祝いムードからはかけ離れた和歌を贈ったものだが、春が来てもまだ出仕する気にはなれない、自分の心情が反映されている。
3月になっても、依然として宮中に顔を出さないでいると、こんな歌が贈られてきた。
「憂きことを 思ひ乱れて 青柳の いとひさしくも なりにけるかな」
(嫌なことに思い悩まれて、里下がりが青柳のように長くなりましたね)
実家に帰ってから、もうずいぶん時が経ってしまっていますね……と、式部に宮仕えを促している。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら