センター試験の結果を受け、熊本大学に出願した時点で浪人を考えていたと語る尾形さん。
惨敗だった受験を終えて浪人を決断した理由を聞くと、「10年後になりたい自分の姿があったから」と教えてくれました。
「『医学部に届かない』ということを認めるのは、何かに屈するような感じがして、自分の中で消化するのが難しいと思いました。現役時のセンター試験の点数でも行けた大学はあったのですが、このまま大学に進むというのは、今自分が置かれた世界の中で生きていくことになると思ったのです。
私は10年後になりたい自分の姿がありました。今、自分の置かれた状況・点数が、たとえ医学部に行くにはきびしくても、今までの自分を変えてでも、医学部合格は成し遂げたいことでした」
国語の偏差値は35、多浪がすでによぎる
こうして浪人を決断した尾形さんは、1浪で地元の壺溪(こけい)塾に入り、勉強を開始します。
毎日夜まで勉強していましたが、得意な化学と英語が記述模試の偏差値60台でスタートしたのに対して、いちばん苦手な国語は偏差値が35で、「1年目の時点で何年かはかかるだろう」と覚悟を決めたようです。
「浪人したら何かが変わると思っていましたが、何も変わらないと思いました。私は壺溪塾の環境が好きでしたし、友達もたくさんできました。塾に5浪や再受験の方も大勢いて、いろんな年齢層の方と交流できました。5浪の先輩は旧帝医学部の模試で、偏差値100を叩き出していて、衝撃を受けましたね。
今のままじゃダメだと思い、強い危機感を抱きましたが、自分も長く浪人したら先輩と同じように点数が取れるようになるのではないかと、楽観的に考えていました」
ここから彼は3年間、壺溪塾で勉強を続け、熊本大学の医学部を受け続けます。
1浪目のセンター試験は70%、2浪目で80%、3浪目で82%。毎年生活習慣を変えず、予備校にも真面目に通い、勉強を頑張っていましたが、合格にはあと一歩足りませんでした。
そこで3浪が終わった彼は、4浪目を自宅浪人で過ごす決断をします。
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