一流の登山家は「日本一低い山」からも学ぶ 地球上の8000m峰を全て制した男の人生哲学

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プロ登山家の竹内洋岳氏
営業マンは、常に目標をクリアしていかなければならないつらい仕事だ。毎日厳しい営業活動に立ち向かうその姿は、1試合の勝利のために練習を重ね、努力し続けるアスリートのよう。ビジネスの世界に通ずる「勝利の哲学」をさまざまなスポーツのプロフェッショナルたちに学ぶ。

死なない限り失敗ではない

本記事は営業type(運営:キャリアデザインセンター)の提供記事です

竹内洋岳――主戦場を海外の山に置く登山家としてふさわしい名前は、母方の祖父につけられた。山を愛する祖父に手を引かれ、山と遊んだ少年時代。そんな少年時代を過ごした竹内氏は高校入学と共に本格的な登山を開始した。

山岳部で活躍していた竹内氏は大学卒業後、ICI石井スポーツに入社。それからも会社公認で休みを取得し、8000m峰を目指し続けていたが、彼はその期間を「あくまで登山愛好家に近いもの」と位置付ける。プロ登山家の肩書きを掲げたのは、2006年のこと。自ら記者会見を開き、14座登頂を宣言した。

「私はそのとき、決して死なずに、14座を登りきると誓いました。私にとってプロとは、覚悟。一生をかけて登山の世界で生きていく覚悟を表明したのです」

竹内氏が挑むのは標高8000m超、酸素濃度は平地の約3分の1の世界。彼はその苛酷な環境を「人間が生きてはいられない世界」と表現した。死と隣り合わせの極限状態と言ってしまえば、あまりに使い古された言い回しだが、そう言い表すしかないだろう。

竹内氏は2007年、ガッシャーブルム2峰で雪崩に巻き込まれ、背骨と肋骨5本を折り、共に登っていた仲間を2人失った。奇跡の救出劇により生還した竹内氏は、それから1年後、再びガッシャーブルム2峰に挑み、そして山頂へ立った。

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