中国では、かつて「同性愛」も当たり前だった 男女隔離・纏足・同性愛からみた中国史
先月、米国の元陸上選手でオリンピック金メダリストのケイトリン・ジェンナー(旧名ブルース・ジェンナー)がトランスジェンダーの女性であることをカミングアウトしたのが話題になった。
白いドレスをまとったジェンナーの女性としての姿が月刊誌の表紙を飾った数週間後、今度は米国の最高裁判所が、同性間の結婚を禁止する州法は違憲であるとする判断を下し、日本のメディアでも大きく取り上げられた。なんとなく性やジェンダーのことが頭にあったそんなときに手に取ったのが本書である。
前述の米最高裁判決が日本で大きく報じられたことにも表れているとおり、現代の日本では、性のとらえかたひとつにしても欧米の判断基準というフィルターを外して見てみるのが意外に難しい。
中国で男や女、家族、同性間愛がどう認識されていたか
その点で本書『性からよむ中国史:男女隔離・纏足・同性愛』は、近現代中国についてそうしたフィルターを使わないように努め、西洋の判断基準が入ってくる前から中国で男や女、家族、同性間愛といったことがどう認識されていたか、そしてその認識が近代化やグローバル化によってどう変化していったか、あるいは変化しなかったか、ありのままを論じる。
たとえば同性間愛の認識の変化を見てみよう。中国では18世紀前半に男性間の同性愛行為が非合法化されたものの、明清時代には男性間同性愛は「ありふれたものだった」し、今日ホモフォビア(同性愛嫌悪)と呼ばれるような現象はほとんどなかったという。女性間の性行為は取り締まりの対象にもならず、詩や歌、散文作品などに描写されている。さらに、19世紀末に西洋由来の同性関係批判が導入されても、すぐに広く受け入れられたわけではなかった。
帯に「西洋的概念では捉えきれない、性の視点から中国近現代史を見渡す」とあるとおり、本書は西洋の尺度に対してどのくらい進んでいる、遅れている、という見かたをせずに中国での性のありようを描き出す。同時にその考察を通じて、読者が日本での性のとらえかたを独自の視点に近いところから見直すことも助けてくれる。
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