相川七瀬「40代で見つけたロック以外の新しい軸」 「大学と家庭の両立」葛藤を超えて掴んだもの

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――それはだいぶ早いですね。きっかけは何ですか?

23歳の頃、イギリスに数カ月間、ホームステイ留学していたんです。ホストファミリーは日本人のご家庭だったんですけど、私が帰国する時に一冊の本をくださって。それが神道の本でした。かつて春日大社の葉室頼昭さんが書かれていた『〈神道〉のこころ』という本。

「あなたはアーティストだから英語はしゃべれたほうがいい。でも、もっと大事なのは日本語だ」という言葉とともに、この本を渡されて。この本には、神道や神話のこと、母国語をきちんと理解して話すことの大切さについても書かれているんですよね。帰りの機内で読んで、もう感動しちゃって! 

――海外で日本の心について知る機会を得たという。

それまでは、海外の聖地と呼ばれるような場所を旅するのが好きだったんです。たとえば、ネイティブアメリカンの聖地・セドナとか。それまで聖地は遠くにしかないと思っていましたけど、日本にこそあるんだと。日本ってすごい神の国なんだと気付かされて、ツアーのたびに全国の神社を巡り、その土地の神社のお祭りにも参加するようになりました。

伝統を残していくことに関わっていきたい

――近年は、神社を巡ることもブームになっていますが。

私の神道への興味は1998年から始まりました。御朱印帳も今でこそカラフルで可愛いものが揃っていますけど、私が集め始めたのは、渋い本格派の御朱印帳しかなかった時代ですね(笑)。20年前からプライベートで神社巡りしているから、そこで出会った神職の方々も、次第に役職が上がって宮司になっていたり、ご子息が私と同級生だったり、人生面白いなと思います。

20代の頃から、神道が私の中で一本の筋としてあった中、30代の時に、赤米の神事に出会いました。歌手としては伊勢神宮で歌わせていただく機会もいただいた。40歳になる頃には、ロック歌手としての顔だけではなく、和の曲を歌う自分とも並走するように生きていくんだなという覚悟のようなものが自分の中に芽生えていました。だから、神事やお祭りについて学びたいし、この伝統を残していくことに関わっていきたいと、フツフツと思い始めたんです。

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