相川七瀬「40代で見つけたロック以外の新しい軸」 「大学と家庭の両立」葛藤を超えて掴んだもの

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――社会人からの学び直しとして理想形です。

社会人の入学は10代で高校卒業し大学に入るのとは違います。学校や学部も偏差値で選ばない。本気で興味のあることを教えてくれる場所を必然的に探します。自分の時間とお金をかけて学びを選んでいるから、入学してからも全てが血肉になる感覚でした。

また先生や同級生との出会いも貴重なものになりました。

――大学時代は、成績1位になられたこともあるとか。

大学2年生の時ですね。実はあの年は最もキツい年でした。

学業と仕事と家庭の両立と葛藤

――どんなことがキツかったのでしょう?

大学生活の4年間で何がいちばん大変だったかというと、やはり、仕事との両立でした。大学2年時は、ミュージシャンとしては25周年で全国ツアーも回っていたから、とにかくスケジュールがハードだったんです。

大学に行くにあたって家族に相談していたんですけど、当初は「本当に大丈夫なの?」という反対意見もありました。最終的には理解してもらったものの、「行かせてもらっている」という思いがどこかにあったんですよね。決めたからには後には引けない、絶対に4年で卒業しなきゃという意地がありました。でも、仕事もきっちりやらなきゃならないし、家庭のことも頑張らなきゃいけないと。

――全てに手を抜けなかったんですね。

家族は協力的でしたけど、自分で自分を追い詰めてしまっていたんです。自分でなんとかしよう、睡眠時間を削って乗り切ろうとしていたけど、歌い手としてはコンディションも整えなくちゃならない。25周年ツアーの時はもういっぱいいっぱいでした。それでも、仕事と家庭と学業と3つをやり切るんだという精神力だけで突き進んだ結果、いちばん辛かった年の成績が1位だったんですよ。これは本当に自分の努力が報われた気がして、素直にすごく嬉しかったです。

――ちなみに、神道を学ばれ、研究されているわけですが、そもそもロックミュージシャンだった相川さんがなぜ神道だったのでしょうか?

ここ10年以上、神社の神事で歌わせていただいたり、赤米大使(長崎県対馬市、鹿児島県南種子町、岡山県総社市の3地域に伝わる赤米神事の伝統文化を広めるために活動する大使)をやらせていただいたりもしていることもありますが、実は最初に神道に興味を持ったのは、25年以上も前のことです。23歳くらいの時かな。

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